バーダー寺
Chùa Bà Đá
バーダー寺は、ニャートー通りの、一瞬見逃してしまいそうな細い路地の奥にあります。
本堂の脇に書かれた案内板によると、この寺は11世紀中頃Sùng Khánh寺として建てられたのが始まりとされています。15世紀の終わり頃、あまりに粗末であったため、Báo Thiên 村の村人(Báo Thiênとは、現在の大教会あたりにあった当時の村の名前です。)が、寺の建て替え工事に取り掛かりました。すると、その工事の最中に女性の形をした石像が土の中から見つかったのです。村人は僧侶を呼び、祈りを捧げ、大切に寺に納めたのです。その後その石像は失われてしまいました。それから200年ほどたった18世紀中頃、再び寺の修復工事が行われました。この工事の時不思議なことが起こりました。何度壁を作っても壊れてしまうのです。ところが村人は諦めることなく工事を続けると、ある日土の中から、また同じような女性の形をした石像が見つかったのです。村人は驚き、またそれを大切に納め、崇拝したのでした。その話を聞きつけて、国中から多くの人々がバーダー寺を訪れるようになったそうです。バーダーとは、ベトナム語で<石の女性>という意味です。残念ながら今では石像は残っておらず、それを見ることはできません。実はバーダー寺は通称名で、正式な寺の名前は<Chùa Linh Quang>(霊光寺)といいますが、正式名を知る人は少なく、バーダー寺としてハノイ市民に親しまれています。
<境内> 通常ベトナムの寺には三関門がありますが、このバーダー寺には狭い門があるだけで、本堂まで細い路地が9メートルほど続きます。もうひとつほかの寺と大きく違うのは、バーダー寺は北向きに建てられていることです。本堂の前には灯篭、香炉、そして両脇には墓塔があります。墓塔とは、その寺の歴代の僧侶の墓で、寺の裏手にもさらに四塔あります。ベトナムのほとんどの寺で見ることができます。
<本堂内部> 中に入ってまず驚くのは、さほど広くない本堂の中に何体もの仏像があることです。本堂の中は明かり取りから差し込む光だけで薄暗いのですが、目が慣れてくると大きく立派な仏像に圧倒されます。
上殿の一番奥には過去仏、現在仏、未来仏を意味する三世仏があります。その手前にある大きな仏像が阿弥陀如来像です。壺を手にした観世音菩薩が左側に、経典を手にした大勢至菩薩が右側に立って阿弥陀さまを見守っています。その手前で釈迦如来像が蓮の花を手にして鎮座しています。そしてその前の仏像が、文殊菩薩と普賢菩薩で、手には柳の枝を持っています。二体とも頭に立派な冠をかぶり、優雅で凛と立っている姿に目を見張ります。そしてその少し手前に釈迦誕生仏があります。ところ狭しと並ぶ仏像はすべて木造漆塗りで金箔がかけられていますが、時の流れと共にそのきらめきは色あせ、今では落ち着きと気品を感じさせます。本堂は、ベトナム北部の寺の代表的な逆T字形になっています。
<僧侶の学校> 右手の建物の二階は僧侶たちの学校になっています。日曜日、旧暦の1日、15日を除く朝7時から11時過ぎまで、授業が行われています。およそ100名近い僧侶たちがハノイ近郊から仏教の勉強に来ています。4年間学ぶそうです。朝早くバーダー寺を訪れると、褐色の袈裟をまとった若い僧侶たちに出会います。
<祖師堂> 本堂の裏に祖師堂があり、左手に聖母像があります。通常聖母は三体祀られますが、ここでは柳杏聖母のみ祀られています。
<ハノイ五大寺>
ここは曹洞宗の寺で、ハノイ市仏教教会の本部が置かれ、歴史遺跡に指定されています。またハノイには五大寺と呼ばれる代表的な寺が五つあり、バーダー寺はその一つです。敷地は繁華街にあるためか狭いですが、樹木は多く静かで安らぎます。また1945年8月革命後、ホーチミン氏が二度バーダー寺を訪れた記録が残っています。
ハノイの中心であるホアンキエム湖からも近く、大教会の周りは毎日のように世界中からの観光客であふれています。そんな中の一本の細い路地に入ると、違う世界に迷い込んだような、静けさと落ち着きがそこにはあります。時の流れが緩やかで不思議な空間です。外の喧騒はまるで嘘のようです。近くにいらしたら、この狭い路地に迷い込んでみませんか?
<住所> 3 Nhà thờ 光花寺 31 Trần
Bình Trọng
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