ベトナム美術博物館 Bảo Tàng Mỹ
Thuật Việt Nam
この建物は文廟の北側後ろに位置し、1930年代の仏領時代に、インドシナ大学に通うフランス人子女の寄宿舎として建てられました。1962年にベトナム民主共和国の文化省が引き継ぎ、1962年から美術館として改築を始め、1966年6月24日正式にベトナム美術博物館として開館しました。 ~ 1階 ~
◆バータム寺のライオン像(③室)(複製品) ここにあるのは複製品で、実物は一対のライオンの前身像。李朝時代の傑作の一つで、バータム寺(ハノイ市ロンビエン区)の敷地内にある霊仁資福寺の須弥壇の下に一対で置かれています。美術博物館には片方しかありません。玉を銜えた口、濃い眉毛の下の大きな眼は力強さと躍動感を感じますが、大きな顔に対して顔の脇にある極端に小さな両手を見ると、ユーモラスにも見えます。
◆ファッティック寺の阿弥陀座像(④室)(複製品) ファッティック寺の象徴ともいえる優美な阿弥陀座像はベトナム最古のもので、高さ1.8mの灰白色の石像で、台座を合わせると2.77mあります。眼は少し下を向いて鼻は高く、蓮台座には多数の李朝様式の竜の彫刻が施されています。この寺は、李朝第3代皇帝リー・タイントン(李聖宗 Lý Thánh Tông)時代の1057年に現在のバクニン省ティエンズー(仙遊)山の中腹に建設されました。 実物は歴史的価値のあるもので、ファッティック寺(正式名バンフック寺)に安置されていますが、1948年に近くで地雷が破裂して破壊され、現在は継ぎ合わされ復元されています。
◆ホイハー寺の千手千眼観音像(⑤室) ◆チン・ティ・ゴック・チュック(鄭氏玉竹)皇后の像(⑤室) 後レー(黎)朝後期第6代皇帝レー・タントン(黎神宗 Lê Thần Tông)の皇后。この像は、以前マット寺(タインホア省ドンソン市)にありましたが、寺はなくなり、現在はこの美術館に展示されています。以前は多くの寺社に祀られていましたが、今ではここと、バクニン省のブッタップ寺のみとなりました。この皇后はブッタップ寺を初め多くの寺院の復興事業に力を注ぎました。また彼女は、チューノムで解説した辞典を編纂するなど優秀で徳の高い文化人でした。
◆ブッタップ寺の千手千眼観音像(複製品)(⑤室) 実物はブッタップ寺(バクニン省)に安置されています。上述のチン・ティ・ゴック・チュック皇后の意向で、1656年に作られました。観音菩薩は海の中にある補陀落という山に住んでいると言われますが、この像は、海の中から竜が観音を持ち上げているモチーフです。左右に42本の手があるほか、952本の小さな手のついた丸い光背があり、各掌に一つずつ眼が描かれています。顔は三面になっており、頭頂部には、化仏という小さい仏像が積み上げられています。台座の右側面に制作者である張氏の名が記されているのが、珍しいです。ベトナム仏教美術の傑作と言われています。
◆亭(ディン)の彫刻(⑥室) 亭は、17世紀と18世紀の後レー(黎)朝時代に最も多くつくられました。現存している最古の亭は、16世紀マック(莫 Mạc)朝時代のもので、最も新しいものは、18世紀から19世紀前半のグエン(阮 Nguyễn)朝時代につくられました。亭の彫刻の価値を見直した画家グエン・ドー・クン氏※1を中心に、分散していた多くの作品が地方から集められました。職人達が亭の梁、垂木、柱に自分の発想でかなり自由に彫刻を創作できたため、表現形態が多様です。象が虎と戦う様子や、人々がボクシングのようなスポーツをする姿、船の上で酒を飲む姿など、日常の風景が見られます。 ※1グエン・ドー・クン(Nguyễn Đỗ Cung):1912~1977年。インドシナ美術高等専門学校卒。現在の当美術館と美術研究所の建設に大きな貢献をしました。
◆雪山像(釈迦苦行像)と羅漢像(⑦⑧室)(複製品) 実物は、現在ハノイ市タック県のタイフォン(西芳 Tây Phương)寺にあります。雪山(せつざん)とは、釈迦牟尼がヒマラヤの山で修業したときの名前。ヒマラヤで修業し悟りを得て釈迦牟尼になりました。この雪山像は、苦行のためガリガリに痩せた釈迦牟尼が思考している姿を表わしています。 釈迦の死後、釈迦の教えを引き継いだインド人の修業僧が最初の羅漢ですが、タイフォン寺の羅漢像は、最近の研究によると、中国明時代に王圻(おうき)が編纂した絵入りの百科辞典『三才図絵』(三才とは、天地人を意味する)を元絵にした像であることがわかりました。本物は漆で色付けされた木彫で、ベトナム仏教芸術の最も優秀な作品群のひとつと言われています。 ~ 2階 ~
◆漆絵(⑫室~⑰室) 漆は、ベトナムでは紀元前のドンソン時代に、舟を作る際、木や竹の接着剤として使われていました。ベトナムの漆絵の歴史は新しく、20世紀初めに生まれました。漆絵は、さまざまな色の顔料を混ぜた色漆を使ったベトナム独特のもので、後に卵の殻などを使った手法が生まれました。日本にも輪島塗のような漆工芸品がありますが、漆の種類がベトナムとは違います。ベトナムの漆は、日本と比べて粘性があります。それに、ベトナムの高温多湿の気候条件のもとで、漆に含まれている酵素の働きにより、漆が乾きやすく、漆絵の制作に適しています。天然の漆は、発色の風合いに落ち着きと奥行きがあり、時間が経つに従い透明感が増し、色が鮮やかになってきます。この美術博物館には、ベトナム戦争時代ころまでの作品が展示されています。 日本人の漆絵作家安藤彩英子氏の漆絵が一点この美術館に所蔵されています。安藤氏は1996年にベトナム人漆絵作家チン・トゥアン(Trinh Tuân)氏の作品に感動し、同氏の下で修業、漆絵作家となりました。現在ハノイ在住、漆絵の制作を続け、漆絵教室も開いています。
~ 3階 ~
◆絹絵(⑱⑲⑳室) 1930年にハノイのインドシナ高等美術学校の画家が、ヨーロッパ絵画の技法と東洋の線描技法を取り入れて、絹地に描いた絵。シンプルでやさしい風合いで、水彩画のように描いています。
◆版画(㉑㉒㉓室)(下記の伝統版画は、別棟2階㉕㉖室) 伝統的な版画は、神棚に供える版画、祝い事、歴史絵巻、風俗を描いた版画など多くの種類があります。かつては独自の版画を持つ地方がたくさんありましたが、現在は以下のような地方版画が残っています。 <ドンホー版画> 干支の絵などで有名な版画で、ハノイ近郊のドンホー村で製作されてきました。オレンジ色や芥子(からし)色に下地を塗った紙に多色摺りした版画。
<ハンチョン版画> ハノイ旧市街ハンチョン通りで製作されてきた版画。細かい黒い線で絵の形を描き、特殊なハケで色つけします。神社で見られる虎の絵(虎は聖母道の守り神)が有名で、その他、鯉など魚や花鳥画が多いです。かつて、主に富裕層から注文を受け作られていました。 <シン版画> ベトナム中部のフエ近くのシン村で製作されてきました。ハンチョン版画と同様に黒い線で形を描きますが、ハンチョン版画と違って線が太いです。色は黒い線にこだわらず自由に塗り、色彩は水彩画のようなやわらかい雰囲気があります。 <キムホアン版画> ハノイ郊外ハータイ省キムホアン村で製作されていました。赤い版画とも呼ばれ紅い色に染められた紙に黒い線の絵を摺り、いろいろな色の粉を振りかけて最後に再び黒い線の絵を摺りました。しかし、1915年の洪水で版木が流され、以来制作は行われていないそうです。
◆油絵(㉔室)
以上、主要な展示品を紹介しました。仏像などで複製品が多いとはいえ、別棟の2階、3階にはオリジナリティーのある伝統版画、宗教画があり見応えがあります。様々な美術作品を通して、ベトナムの歴史、宗教、文化が垣間見られます。美術愛好家でなくても、ぜひ足を運んでほしい美術館です。
※2エッチング:版画の一種。銅版を防食剤で一面にコーテイングした後ニードルで線描し、酸に浸して腐食させる。ニードルで防食剤をはがした部分のみ浸食され、版の凹部なる。この凹部にインクをいれ、紙に転写する。レンブラントは、エッチングを好んで製作した最初の画家。
※3:ガッシュ:水彩絵具の一種。水彩絵具には、透明と不透明絵具の2種類あるが、ガッシュは不透明絵具。色を重ねて塗ると下の色は出てこない。ベタ塗りなどに適している。現在のアクリルガッシュは、発色がよいので、多くのイラストレーターが使っているが、最近はCGが多い。
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美術品の販売ショップやレストランもあります。
* ときどき展示品の入れ替えがあります。
<開館時間> 毎日 8:30~17:00 参考資料: 『歩こうハノイ⑧ 文廟周辺を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2010
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