鎮武観
殿内に一歩足を踏み入れると、朱と金の鮮やかな色彩におおわれた天井や柱、螺鈿細工の題額や対聯(ついれん)、銅製の燭台、鐘、磬(けい)などの様々な装飾品が一気に目に飛び込んできて、とても華やかな印象をうけます。
下に突いている剣の先には亀、しかしその尾は蛇になっています。これが「玄武」という北の方向を象徴する神聖な動物です。この玄天上帝像、もとは木像でしたが1677年(後レー朝後期)から始まった修復の際、高さ3.72m、重さ4tのこの銅像が鋳造されました。完成には4年の歳月がかかっています。
この鋳造をおこなったのが、チュックバック湖畔のグーサー村の人々です。前殿に、この銅像を作ったチュム・チョン(Đức Ông Trùm Trong) の胸像が祀られてます。当時の技術水準の高さを今日に伝える貴重な芸術作品といえるでしょう。同時期に作られた鐘は入り口の鐘閣の上にありますが、現在はその音を響かせることはないそうです。 前殿正面のバット・バオ(八宝)という8本の武器は、権威付けのため置かれています。亀の上に鶴が立っているのは長寿を願うものでタイニン省のベトナム人が寄進しました。下の写真は正面入って右側にある磬(けい)です。グエン(阮)朝第3代ティェウチ(紹治)帝が1873年、お金と玄天上帝像の黄色い衣を寄進したとあります。
総数38に及ぶ螺鈿の対聯、34枚の題額は19世紀のグエン(阮)朝の儒教官僚たちが、それぞれ同じところに作らせて寄進したものです。対聯のひとつに、玄天上帝の聖地であるとされる「武当山」のことが書かれています。その当時、武当山がこのベトナムの地にあたると考えられていたようで、ベトナム人だけでなく、中国からも参拝者が訪れ信仰されていました。もとは、北=中国に対する守りのための鎮武観が、後世その中国人達の信仰をも集めていたことは、その長い歴史を改めて振り返ってみるのに、おもしろい場所と言えるでしょう。 参考資料: 『歩こうハノイ⑤チュックバック湖畔を歩こうう』 ハノイ歴史研究会 2002 |
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