ファッティック(仏跡)

Chùa Phật Tích


~ ベトナム最古の阿弥陀像を祀る ~

 
正式名である「萬福寺」の名が掲げられた鐘楼
撮影:2013年11月14日
 

この寺の起源は、1057年リー(李)朝三代皇帝リー・タイントン(李聖宗)が建立した天福寺にさかのぼります。当時、この寺は300もの建物があり、毎日の清掃には70人を要したといわれていたほど壮大な規模を誇っていました。この中には九層からなる高塔があり、タンロン城(ハノイ城)からもその姿を見ることができたそうです。ある日、この塔が崩壊し、中から仏像が現れたので、寺の名前を仏跡寺と呼ぶようになったと伝えられています。この時の仏像が現在本堂に祀られている阿弥陀座像です。現在の正式名称は萬福寺といいますが、ファッティック寺の方が広く地元の人々にも知られ、使われています。 

かつてバクニン省一帯は2世紀頃から仏教の中心地として栄えており、特にリー朝時代(10101225)には、たくさんの寺や塔が建てられました。それは建国後まもなく、皇帝の力があまり強くないので、民衆にその権威を見せるため、また仏教勢力の後押しも必要だったためと言われています。僧侶の中には高い地位を得て、国政に参加するものも現れました。

<ファッティック寺の彫刻と遺跡>

階段を上っていくと、左右に石の動物が目に入ります。中央から対になって順に、獅子、象、牛、犀、馬と合計10体あります。この石像は本堂の阿弥陀座像と共に1057年に造られたものです。

 獅子の石像
撮影:2013年11月14日
本堂・前堂
撮影:2013年11月14日 


本堂の阿弥陀座像は石で作られ、高さ1.87m、台座の直径は1.32mあり、17の蓮の花びらに、多数のリー朝様式の龍(細く屈曲の多い)の巧みな彫刻が施されています。残念なことに、1948年に地雷が近くで炸裂したため破壊され、現在は継ぎ合わされて修復されています。

その前年(1947年)、第一次インドシナ戦争の初期、ベトナム解放勢力の清野策(戦争の際、敵に利用させないため、作物や人家を取り除くこと)により、全伽藍が焼き払われてしまいました。現在の伽藍は1991年に村民や参拝者の寄付金により再建されたものです。ハノイの歴史博物館には阿弥陀座像と柱の礎石のレプリカがあります。

 阿弥陀座像
修復の跡や砕けた箇所があるが、今も優美な姿で鎮座する。
瞑想に入っていることを示す禅定印を結んでいる。禅定印は、密教の影響と考えられる。
撮影:2013年11月14日
 

台座の龍の彫刻
李朝様式の龍は、からだが細く屈曲し、爪は3本、角は無く頭からは炎のようなものが出ている。
この龍は稲妻をかたどっていると言われ、農業国であるベトナムが雨乞いの願いを込めている。
撮影:2013年11月14日
 


      
 須弥壇の仏像
撮影:2013年11月14日
三世仏と、”瑠璃殿”の文字
”瑠璃”とは、薬師如来がおられる東方瑠璃浄土を意味する。
阿弥陀如来がおられる西方浄土と共に、信仰をあつめる。
撮影:2013年11月14日 

本堂の裏に回ると、歴代住職などの墓塔があり、それに囲まれるように龍池と呼ばれる池があります。池の中には、かつて一対の石の龍が刻まれていましたが、現在、足と五本の爪がはっきり見える程度です。これは雨乞いのために作られたといわれています。


     
 祖師堂
祖師堂には、拙拙禅師の他、拙拙禅師の残した
仕事を継いだベトナム僧Chân Nguyênや
Minh Hành が祀られている。
2013年11月14日
17世紀にベトナム仏教を復興させた
中国福建の僧・拙拙禅師(1590~1644)
撮影:2013年11月14日
 


   
 歴代住職の墓塔
撮影:2013年11月14日
 

龍池
撮影:2013年11月14日
 
龍池の底面に刻まれた龍
爪が見られる。
撮影:2001年11月8日
 

 松林の中の階段を登っていくと、ファッティック山の頂上に出ます。山頂には、2010年に造られた阿弥陀大仏と塔がそびえ、バクニン平野が眼下に広がり、南にはドゥオン川が見えます。


   
 ファッティック山頂に立つ塔。
バクニン平野と、遠くにドゥオン川を臨む。
撮影:2013年11月14日
 

   
 山頂に鎮座する阿弥陀大仏
(高さ27mの石像)
撮影:2013年11月14日
 

   
 大仏ができる前の、かつてのファッティク山。
岩やお墓が点在している。
頂上に上れば360度のパノラマが臨めた。
撮影:2001年11月8日
 

<ファッティック山の伝説>

ファッティック山は爤柯山・仙遊山・仙山などの異名をもち、これらの起源は次のような伝説によるものです。
 昔、王質という樵(きこり)が山中で碁を打つ二人の老人(仙人)に会い、その様子を斧の柄を杖にして眺めていました。しばらくして老人に帰るように促され、ふと我に返ると、斧の柄(柯)が腐爤していたのです。里に降りると、家族知人は7代あとまで年老いて死たえていたという話です。これは中国からベトナムに伝わった異界伝説のひとつで、ベトナム版浦島太郎といえるのではないでしょうか。現在も山頂には平たい大きな岩があり、爤柯山伝説の基盤の岩だと言われています。


行き方>
 ハノイ中心部からは、ヴィントゥイー(Vĩnh Tuy)橋を渡り、5号線を経由して新一号線に入ります。北東へ向かって走り、ティエンズー(Tiên Du)、ファッティックPhật Tích)と書かれた標識のところを右にいくと、小高い連丘(仙遊山脈)が見えてきます。そのうちの一つの山の上に大仏と塔が見えます。大仏と塔がだんだん大きく見えてくるとファッティック寺の看板があり、そこを左折するとすぐ到着です。

   
 国道新1号線の、ティエンズーの標識を右に行くと、
大仏と塔のある小高い山が見えてくる。
撮影:2013年11月14日
 


ファッティック寺見取り図
★画像をクリックすると拡大します。
撮影:2013年11月14日
 





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所在地:バクニン省ティエンズー県ファッティック村

     Xã Phật Tích, huyện Tiên Du, Tỉnh Bắc Ninh


 


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