ファッティック(仏跡)寺 Chùa Phật Tích
この寺の起源は、1057年リー(李)朝三代皇帝リー・タイントン(李聖宗)が建立した天福寺にさかのぼります。当時、この寺は300もの建物があり、毎日の清掃には70人を要したといわれていたほど壮大な規模を誇っていました。この中には九層からなる高塔があり、タンロン城(ハノイ城)からもその姿を見ることができたそうです。ある日、この塔が崩壊し、中から仏像が現れたので、寺の名前を仏跡寺と呼ぶようになったと伝えられています。この時の仏像が現在本堂に祀られている阿弥陀座像です。現在の正式名称は萬福寺といいますが、ファッティック寺の方が広く地元の人々にも知られ、使われています。 かつてバクニン省一帯は2世紀頃から仏教の中心地として栄えており、特にリー朝時代(1010~1225)には、たくさんの寺や塔が建てられました。それは建国後まもなく、皇帝の力があまり強くないので、民衆にその権威を見せるため、また仏教勢力の後押しも必要だったためと言われています。僧侶の中には高い地位を得て、国政に参加するものも現れました。 <ファッティック寺の彫刻と遺跡> 階段を上っていくと、左右に石の動物が目に入ります。中央から対になって順に、獅子、象、牛、犀、馬と合計10体あります。この石像は本堂の阿弥陀座像と共に1057年に造られたものです。
本堂の阿弥陀座像は石で作られ、高さ1.87m、台座の直径は1.32mあり、17の蓮の花びらに、多数のリー朝様式の龍(細く屈曲の多い)の巧みな彫刻が施されています。残念なことに、1948年に地雷が近くで炸裂したため破壊され、現在は継ぎ合わされて修復されています。 その前年(1947年)、第一次インドシナ戦争の初期、ベトナム解放勢力の清野策(戦争の際、敵に利用させないため、作物や人家を取り除くこと)により、全伽藍が焼き払われてしまいました。現在の伽藍は1991年に村民や参拝者の寄付金により再建されたものです。
本堂の裏に回ると、歴代住職などの墓塔があり、それに囲まれるように龍池と呼ばれる池があります。池の中には、かつて一対の石の龍が刻まれていましたが、現在、足と五本の爪がはっきり見える程度です。これは雨乞いのために作られたといわれています。
松林の中の階段を登っていくと、ファッティック山の頂上に出ます。山頂には、2010年に造られた阿弥陀大仏と塔がそびえ、バクニン平野が眼下に広がり、南にはドゥオン川が見えます。
<ファッティック山の伝説> ファッティック山は爤柯山・仙遊山・仙山などの異名をもち、これらの起源は次のような伝説によるものです。
<行き方>
大きな地図で見る 所在地:バクニン省ティエンズー県ファッティック村 (Xã Phật Tích, huyện
Tiên Du, Tỉnh Bắc Ninh)
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