チュー・ヴァン・アン高校

Trường Trung Học Phổ Thông Chu Văn An

 
 チューヴァンアン高校の正門
撮影:2013年11月12日
 

1907年にドンキン(東京)義塾学校1が閉鎖された後、1908年、フランス植民地政府のもとで働く人材育成のために建てられました。仏領期以前、ここにはチャウラム(珠林)寺2がありましたが、寺を移転させ、1892年シュナイダー印刷所が建てられました。しかし印刷所の経営が傾き、この土地は学校建設のため植民地政府に渡されました。設立当初の名はLycée du Protectorat Trường Trung học Bảo hộ=保護学校)。“バーオ ホ(Bảo hộ)”とは、「未開の植民地を護るまたは助ける」という意味を持っていました。しかしフランス植民地政府の目的を受け入れがたい生徒達は、自身が住むブオイ地域の名をとり、“ブオイ学校”と呼んでいました。
 アルベールサロー学校3がフランス人子女のための学校であったのに対し、ブオイ学校はベトナム人が学ぶ学校でしたが、ラオスやカンボジアの生徒も在籍していました。教師はほとんどがフランス人で、授業はフランス語でフランスの教科書を使って行われました。ベトナムの文学や歴史、漢字などは軽視されたのです。独立のための革命に参加し始めた生徒達は、自主退学、もしくは退学させられました。
 第二次大戦中、学校はタインホアやニンビンに疎開、校舎は日本軍により占拠されました。1945年、学校はベトナム最古の大学・国子監の学長の名をとり、チュー・ヴァン・アンChu Văn An:朱文安)高校と改名されました。
 抗仏戦争中は、仏軍が学校を占拠し、学校は再びハノイ市内の別の場所へ移り、また、多くの生徒がハノイ市自衛隊に参加しました。ベトナム戦争中は、北爆が開始されると学校は再びフンイエン省へ疎開を余儀なくされます。
 このように、場所を転々とせざるを得なかった長い戦争の時代を終え、1975年以降、やっと落ち着きを取り戻し、現在は、ハノイで最も優秀な学校の一つとなっています。チュー・ヴァン・アン高校出身者には、元首相のファム・ヴァン・ドン(Phạm Văn Đồng)、ベトナム戦争に従軍し日記を残した医者のダン・トゥイー・チャム(Đặng Thuỳ Trâm)、詩人のスアン・ジエウ(Xuân Diệu)など多くの著名人がいます。2004年には、国家文化歴史遺産に登録されました。
 学校施設のため、通常敷地内に入ることはできませんが、正門から中を見渡すと、大木のある広い中庭を囲むように、山吹色のフランス建築の校舎が建ち、中庭の奥の方にチュー・ヴァン・アンの像が置かれています。校舎はタイ湖沿いの通りからも眺めることができます。タイ湖に面して建つ八角館と呼ばれるピンク色の瀟洒な建物は、元々印刷所を営むシュナイダーの邸宅として建てられたもので、現在は学校の図書館として使われています。


   
フランス建築の校舎
撮影:2013年6月7日 
チューヴァンアンの像
撮影:2013年6月7日 


   
 校舎の壁に記された頭文字CVA
撮影:2013年11月12日
 校舎
撮影:2013年6月7日



1 ドンキン義塾学校は、ベトナムの独立を目指し人材育成のために開かれた学校。フランスにより閉鎖された。

2 チャウラム(Châu Lâm:珠林)寺(バーダイン寺とも言う。)はフックラム(Phúc Lâm:福林)寺に改名され、現在、199 Thụy Khuêにある。

3 アルベールサロー学校(lycée Albert Sarraut)の建物は、ホアン・ヴァン・トゥ(Hoàng Văn Thụ)通りに現存し、現在は共産党中央本部として使われている。





<住所> 10 Thụy Khuê




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