ディエンビエンフーの戦い
Chiến Dịch Điện Biên Phủ
1954年313日~57

~ フランス植民地時代に終止符 ~

 ディエンビエンフーは、ハノイから西北へ約500km、飛行機で1時間程離れたところにある街で、ベトナム語で、辺境の県という意味です。ラオスとの国境の山に囲まれたこの盆地の街が、世界史に名を残すことになったのは、1954年、この地でベトナム軍がフランス軍を奇跡的に打ち破ったからです。
 
 第1次インドシナ戦争で、劣勢に悩むフランスは、この地に落下傘兵を中心とした精鋭部隊のたてこもる要塞を築きました。この地を選んだのは、フランスがベトナムの所持しない航空機を駆使できること、ベトナム軍とラオスの革命勢力との連携、補給路を遮断できるからでした。目的は、ベトナム人民軍主力をおびき出して全滅させることでした。フランスは、ベトナム側には要塞攻撃可能な大砲がない、あっても山岳地帯まで多数の大砲を運ぶことは困難、盆地の山の傾斜角度から山の向こう側からの射撃は不可能だとベトナム人民軍の力量を軽視したのです。
 しかし、ヴォー・グエン・ザップ将軍率いるベトナム人民軍は、車の通れないような険しい山道を、自転車による補給部隊や山岳民族等の協力を得て武器や物資を運びあげました。そしてフランス軍に数倍する兵力と優勢な火砲を要塞周辺に集結、隠蔽することに成功しました。フランス軍は56日間の悪戦苦闘を余儀なくされ、ついに195457日、フランス軍は降伏し、カストリ司令官を含む16,200名が捕虜となります。こうしてベトナムは、歴史的な勝利を勝ち取ったのです。


 ディエンビエンフー
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参考資料:『歩こうハノイ① 旧ハノイ城跡を歩こう』ハノイ歴史研究会 2001


ディエンビエンフー戦跡

 ディエンビエンフーの盆地にフランスは、南北10㎞、東西6㎞に渡って陣地を築きました。現在見学用に整備されている陣地跡は、D1の丘、A1の丘、ド・カストリ司令部です。その他、戦争関連の見学地として、博物館や戦没兵士墓地、橋などがあります。(以下の写真は、2012年9月1日、2日に撮影。)

● D1の丘(Đồi D1)(ドミニクDominique陣地)

   
D1の丘の上から西側を臨む。街、田畑のすぐ向こうに山がせまる。   
   
D1の丘の上にたてられた戦勝記念碑
Đái Tường Niệm Chiến Thắng Điện Biên Phủ
勝利の瞬間に仏軍ド・カストリ司令部の屋根の上に立った兵士を描いている。
 


● A1の丘(Đồi A1)(エリアーヌEliane陣地)

A1の丘のフランス陣地跡  丘の上に残されているバゼイユ型(Bazeille)戦車。
”1954年4月1日に殲滅された。”と記されている。
 
 
ベトナム軍が地下に960㎏の爆弾を仕掛け、
その爆発でできた陥没の跡。
 
周囲に掘られた塹壕の跡 


● 仏軍ド・カストリ司令部跡(Hàm Kiên Cố của Tướng De Castries

   
ド・カストリ司令部跡
屋根は、土嚢を積み上げた上に、
かまぼこ形の天板で覆われている。
 
司令部入り口 
   
内部はいくつかの小部屋に分かれている。   



● ディエンビエンフー戦没兵士墓地(Nghĩa Trang Liệt Sĩ Điện Biên Phủ)
ディエンビエンフーの戦いで戦死したベトナム人の墓地


   
入り口は寺の三関門のような門

 
 門の左右には、戦いの様子を描いたレリーフ


   
  ファン・ディン・ゾット(Phan Đình Giót)のお墓
ファンディンゾットは、
自らの体でトーチカの穴をふさぎ、
フランス軍の攻撃の犠牲となったが、
それによってベトナム軍は進撃した。
ベトナムの線香は、赤く染めた竹ひごに線香の生地を練りつけて作られる。
燃えた後は赤い竹ひごが残る。
整然と並べられたお墓は緑に囲まれ、
今は静かな時が流れている。



● ディエンビエンフー博物館 (Bảo Tàng Chiến Thắng Lịch Sử Điện Biên Phủ)

 
 
物資を運ぶ人々のジオラマ、ド・カストリ司令官が捕虜とされる様子の写真、
当時使われた武器などが展示されている。
  



● 旧ムオンタイン橋  (Cầu Mường Thanh Cũ)

   
フランスによってナムゾム川(Nậm Rốm)に架けられた橋。
現在も使われている。
 
 



● ノンニャイ記念碑  (Đài Kỷ Niệm Nong Nhai)

      
「1954年4月25日、この地で仏軍の攻撃により同胞444人が亡くなった。
ほとんどが女性や子供達であった。」 と記されている。
像は、ターイ族(Thái)の女性が子供を抱いてる。



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