ディンチェム(チェム亭) Đình Chèm ~ 紅河のほとりに立つ ~
ハノイ市内からノイバイ空港へ行くには、1688mあるタンロン橋を渡ります。この橋は、1974年に中国の援助で建設が開始されましたが、1979年の中越戦争で中断、その後、旧ソ連が引き継いで1985年に竣工しました。 ディンチェムは、この橋の手前を左に折れ、紅河に沿った道路を上流に向かって進んだところに、紅河に面して建っています。ディン(đình;亭)とは村の鎮守社兼集会所で、チェムは村の名です。しかしチェム村というのは通称で、村の正式名称は、ハノイ市トゥーリエム県トゥイフゥオン村(Thụy Phương, Tư Liêm, Hà Nội )といいます。タンロン橋が架けられる以前は、「チェムの渡し」がありました。大きな筏のようなフェリーがエンジンのついた小舟に引かれて往来し、ハノイの人々にとって重要な交通手段でした。 このディンには、語り継がれてきた伝説があります。ここには、紀元前2世紀、アンズォン(安陽 An Dương)王の時代に活躍したといわれるリー・オン・チョンが村の守護神※として祀られています。リー・オン・チョン(Lý Ông Trọng 李翁仲)(本名:リー・タン)は、子供の頃から体が大きく、賢く、しかも礼儀正しい若者でした。忠誠心に富み、文武両道の才にたけていたそうです。 当時、中国は秦の始皇帝の時代で、北部国境地帯では北方騎馬民族の匈奴の脅威にさらされていました。始皇帝の要請をうけ、アンズォン王は国境警備のためにオン・チョンを差し向けました。(今でいう大使の任務を負っていたとも言われています。) 彼は期待どおりの働きをし、匈奴を打ち破ったのです。皇帝は、その褒美として皇帝の娘、バック・ティン姫を与え、この国に留めるために結婚させました。 オン・チョンはティン姫との間に二人の娘と四人の息子をもうけます。しかし、オン・チョンはアンズォン王を助けるために、妻子とともに故郷チェムに戻ってきたのでした。再び中国に戻るよう何度も要請されたようですが、彼はそれを拒否し、生まれ故郷で亡くなりました。彼の死後、チェム村の人々が彼を祀るためにこのディンを建てたのです。ディンは二千年の歴史を持ち、チェム村の人たちは、河と堤防の間に建っているこの集会所が、洪水から村を守ってきたと信じています。 現在の建物は20世紀初めに改築されたものです。河に向かって四本の高い石柱が建てられ、数段の階段を上がると木製の大きな門がそびえ立っています。この門の左右に小さな通用門があり、普段は向かって左の通用門から出入りします。大きな門の内側には、白い象と象遣い、白馬が安置されています。リー・オン・チョンは象に乗って戦ったそうです。
2001年に、ハノイ歴史研究会メンバーがこのディンについて話を伺ったハノイ国家大学の先生は、1960年にこのディンチェムで小学校の授業を受けていたそうで、校長先生が、その当時あった象や馬の像を壊して紅河へ投げ捨てていたのを覚えていると話していました。おそらく当時、社会主義への道を歩みだした北ベトナムでは、こうした宗教的なものは排除されていたのではないでしょうか。 建物の中に入ると、18世紀につくられた沢山の木像を見ることができます。中でも注目すべきものは、オン・チョンとその妻の二体の木像です。それは、1888年につくられた当初は、朱で塗られ、金箔を施されたものでしたが、現在は塗り替えられています。椅子に腰かけているこの二人の像は、およそ3mの大きなもので、このディンの一番奥に安置されています。その左右に、子供達の立像が三体ずつ置かれています。 1990年、ディンチェムは、国の史跡として認定されました。 毎年旧暦の5月14、15、16日の三日間にわたって行われる「チェムの祭り」は有名です。この祭りのユニークな点は、紅河に船をだし、河の中央で水をくみ、それを祭壇に供え、その水で像を清めるのだそうです。 ※村の守護神
以下は、2006年6月9日(旧暦2006年5月14日)、チェムの祭り
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