タイソン(Tây Sơn)通りの西側、ダン・ティエン・ドン(Đặng Tiến Đông)通りがぶつかるところに木々に囲まれた公園があります。タイソン通り側の入り口から入ると、左手に小さな遊園地があり、正面には階段と神社の門が見えます。階段を登り、門をくぐるとそこは小高い丘で、以前はデン
チュン リエット(Đền Trung Liệt)という神社があったそうですが、今では門だけが残っています。
丘の頂上にある石碑は、1989年にドンダーの戦いの勝利200年を記念して作られたもので、この戦いで活躍した英雄クアンチュン(Quang Trung)が詠った詩の一部が刻まれています。
丘からは鬱蒼とした木々にさえぎられて見えませんが、神社の門の反対側を下りて行くと広々とした広場があり、その広場を見下ろすように、クアンチュンの大きな石像が立っています。
1788年10月に後レー(黎)朝の皇帝の要請でベトナムに進攻した清軍は、タンロン城に入城し、今のドンダーの丘のあたりに清軍の要塞を築きました。これを知ったクアンチュンはベトナム中部のタイソン(現ビンディン省タイソン県)から攻め上ると、ドンダーをめぐる激しい戦いに勝利し、1789年1月5日にタンロン城に入り、勝利を祝いました。
言い伝えでは、1789年のドンダーの戦いの勝利の後、清軍兵士の屍が集めて埋められ、高く土盛りされた12の大きな墓ができました。1851年、道を作る際に掘り起こしたところ、埋まっていた多くの遺骨が見つかり、それを埋めなおして13番目の丘が出来ました。その後長い時間をかけ、丘が徐々に盛り上がり、ドンダー(沢山の土盛り)の丘と呼ばれるようになったそうです。それから20世紀の初めにかけて12の土盛りされた丘は平らにされ、ただ一つ残った13番目の丘が現在のドンダーの丘です。
<クアンチュンの詩>
クアンチュンの像の後ろには、戦いと凱旋の様子、テトの風景をモチーフにしたレリーフがあります。
撃つのだ、長い髪と黒い歯を守るために。
撃つのだ、(敵の)車輪片方たりとも、鎧一片たりとも国へ帰すな。
撃つのだ、そして奴らに南国の英雄にはもとより主がいることを知らしめるのだ。
長い髪と黒い歯とは、ベトナム古来の風俗である黒く染めた歯と長髪を後ろに束ねた髪型のことで、ベトナムの民族を表現しています。そこには、清軍を殲滅し、民族の独立を守る決意が高らかに詠われています。
レリーフの後ろには資料館があり、ドンダーの戦いについて説明した図や模型、毎年陰暦の正月(テト)5日に開催される祭りの写真が、多数展示されています。祭りでは、クアンチュンにまつわる劇や歌、踊り、竜の舞等が催され、大勢の人で賑わいます。
ダン・ティエン・ドン通り側の入り口から公園に入ると、正面に石像が威風堂々とそびえていて、とても印象的です。
<住所> 4 Đặng Tiến Đông クアンチュンへ 参考資料: 『歩こうハノイ⑥ ドンダーの丘周辺を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2007
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