銅鼓(ブロンズドラム)
Trống Đồng
~ ベトナムのシンボル ~

 
 ゴックルー銅鼓
BC500~BC400 ハーナム省出土
撮影:2014年2月18日
場所:歴史博物館、ハノイ

 銅鼓とは、フィリピンを除く東南アジアと中国南部に広く分布している、青銅で出来た片面の太鼓です。富や権力の象徴とされ、祭器として使われてきました。紀元前45世紀頃に中国南部(現在の雲南省の辺り)で製作が始まり、ベトナム北部で本格的に発展したと考えられています。ベトナムでは、ドンソン文化を代表する青銅器として広く知られています。そして現在でも、一部の少数民族によって使い続けられています。

銅鼓の製作年代と形式についてはいくつか説がありますが、1902年にオーストリア人の考古学者ヘーガーが、165点の銅鼓をⅠ~Ⅳ式に分類したものが一般的です。

ドンソン文化とは、紀元前5世紀から紀元1世紀頃までベトナム北部の紅河流域を中心に栄えた初期の青銅器文化であり、現在のベトナムの主要な民族であるキン族中心の文化です。ドンソン文化の時代に造られた銅鼓をドンソン銅鼓と呼び、ヘーガーの分類ではⅠ式に分類されます。その中で最も大きく立派なものがゴックルー銅鼓です。ハーナム省のゴックルーで出土したことからこの名前がつけられました。銅鼓の鼓面、側面には様々な文様が描かれています。鼓面には、中心に星のような形が描かれていますが、それは太陽を意味しています。その周りを囲むように幾何学模様や人々の生活風景、動物や鳥の模様が見られます。鳥の羽の頭飾りをつけた人々も描かれていますが、古代ベトナム人は祖霊を鳥と信じていたようです。雨乞いや子孫繁栄を願う小さな蛙が乗っている銅鼓もあります。また側面に付いている取っ手は、銅鼓を吊り下げて叩く為のものです。

   
   
     
ヘーガーI式
(ハーナム省出土、高さ63㎝、直径79.3㎝)
鼓面の下に大きなふくらみがあり、
下は末広がりに広がり、中央部はくびれている。 
 ヘーガーII式
(ホアビン省出土、高さ43.7㎝、直径66.5㎝)
鼓面の下に大きなふくらみはない。
       
 ヘーガーIII式
(ハータイ省出土、高さ48.1㎝、直径61.9㎝)
鼓面の下に大きなふくらみはなく、
下の方も広がっていない。
ヘーガーIV式
(ハーナム省出土、高さ29.6㎝、直径49.6㎝)
高さが非常に低い。 
  撮影:2014年2月18日(I 式)、2013年8月13日(II、III, IV 式)
場所:歴史博物館、ハノイ



   
ゴックルー(Ngọc Lũ)銅鼓上面図
当時の人々の生活を表す様々な文様が描かれている。
 
 
 高床式家その1 高床式家その2 
 米搗きの様子 鳥の羽根飾りをつけた人々 
   
 銅鼓を叩く様子

ゴックルー銅鼓の鼓面の文様
撮影:2013年8月13日
場所:歴史博物館、ハノイ
 


 
鼓面のカエル
(タインホア省ノンコン出土の銅鼓)
撮影:2013年8月13日
場所:歴史博物館、ハノイ


 2013
6月に急逝された考古学者の西村昌也先生に、外国人に与えられる最高位の勲章「友好勲章」が、ベトナム政府より授与されました。西村先生は20年近くベトナムの考古学研究に携わり、ご活躍されました。西村先生の素晴らしい業績のひとつに、銅鼓の鋳型発見が挙げられます。西村先生は1998年と2001年にバクニン省のルンケー城跡で、銅鼓の鋳型片を発見しました。これはベトナムで初めての鋳型発見であり、銅鼓が確かにベトナムで造られていたことが証明され、ベトナムに大きな喜びをもたらしました。そして、その鋳型片は2世紀か3世紀のものとされています。北部ベトナムは、紀元前111年より約千年に渡り、中国の支配を受けました。中国政権はルンケー城を築き、紀元2世紀~56世紀まで北部ベトナム支配の拠点としました。この鋳型発見によって、中国政権の城郭内で中国の支配を受けながらも、ベトナムの文化である銅鼓が造られていたことが分かりました。また、その鋳型から造られた銅鼓は、紅河平野域ではなく、その周辺の地域から出土しています。ルンケー城政権が銅鼓を生産し、それらが紅河平野から離れた異民族にもたらされるようなシステムがあり、銅鼓の製作者と使用者が異なっていたという非常に興味深い状況も分かりました。 

中国による支配が本格化すると、銅鼓の生産は少なくなります。10世紀、北部ベトナムは千年に及ぶ中国支配から独立します。この後、銅鼓の分布は平野部から山岳部へ移り、少数民族によって使用されるようになります。しかし、少数民族には銅鼓鋳造の技術はなく平野部に居住するキン族が生産していた、と考えられています。独立後の李朝(10091225)や陳朝(12251400)では、銅鼓を神聖なものとして大切に扱っていたことが文献から分かっていますが、一方では少数民族を懐柔する為に銅鼓を贈答品として利用していた可能性も考えられます。このように、銅鼓の研究は、平地と山岳部の民族の関係やそれぞれの民族の歴史を解明する為の重要な鍵となっています。

現在、銅鼓はベトナムの国家的なシンボルとされ、そのデザインは建都千年記念のモザイク壁画やベトナム航空客室乗務員のエプロン等、様々な場所で使用されています。実物は、歴史博物館やハノイ博物館で見ることができます。 


 
 歴史博物館所蔵写真
ムオン(Mường)族(ヴィンフック省)が銅鼓を上から叩く様子。

撮影:2013年8月13日
場所:歴史博物館、ハノイ
 


   
 美しい民族衣装をまとい、
銅鼓の音に合わせて踊るロロ族の女性
撮影:2013年10月12日
普後邦夫さん撮影
場所:ハーザン省
ロロ(Lô Lô)族の銅鼓
大小の銅鼓を向い合せにして、叩く。
撮影:2013年10月12日
普後邦夫さん撮影
場所:ハーザン省 


   
 モザイク壁画
撮影:2013年8月30日
場所:ホンハー(
Hồng Hà)通り、ハノイ
ベトナム航空客室乗務員のエプロン
撮影:2013年8月31日
場所:機内にて 

 
 ベトナム式コーヒーフィルター(Cà Phê Phin)の蓋も、銅鼓模様
撮影:2014年2月24日
場所:Trung Nguyên Cafe, ハノイ


参考文献:西村昌也『ベトナムの考古・古代学』同成社、2011
  2012年度「東南アジア史学会賞」受賞

   

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