ドゥオンラム(唐霖)



フンフン神社のあるカムラム集落は、モンフ集落からやや離れた所にあり、付近にはのどかな川や田園風景が広がります。カムラム橋を渡り、5分ほど歩くと右にフンフン神社があります。


カムラム集落の境付近の三叉路に立つガジュマルの木  カムラム橋 
撮影:2012年12月16日 


カムラム橋の下を流れる川で、川底の貝を採集する人々  カムラム橋付近の田園風景 
撮影:2012年12月16日 




フンフン神社(Đền Phùng Hưng

 フン・フン(馮興 Phùng Hưng)は、後に南漢軍を破ったゴー・クエンと同じドゥオンラム村出身で、父親は中国の支配に対して立ち上がったマイ・ハック・デー(Mai Hắc Đế 梅黒帝)の蜂起(722年)に加わったとされています。当時、唐は交州(現在のベトナム北部)を監督するために、安南都護府を置いていました。その都護であったカオ・チン・ビン(高正平)が民衆に重税を課し、圧政を行っているのに憤慨し、弟のフン・ハイ(Phùng Hải と共にフン・フンは反乱軍を組織し、宋平(トンビンTống Bình  現在のハノイ市西北部)に攻め込みました。カオ・チン・ビンはその力を恐れ、病にかかり死んでしまったといいます。791年フン・フンは国土を解放し、自治政権機構を組織し始めました。しかしその7年後フン・フンは亡くなり、息子が跡を継ぎましたが、唐が新たに任命した都護に抗しきれず降伏しました。彼の功績を称え、人々は彼を布蓋大王(Bố Cái Đại Vương)と呼びました。布蓋とは“父母”という意味で、父母のごとき大王と崇めたのです。


   
 撮影:2012年12月16日  


     
撮影:2012年12月16日 


 フン・フン神社では、旧正月あけてまもなく旧暦1月8日に祭りが行われます。後堂の前の祭壇にはあふれんばかりの供物が並び、祭りの伝統衣装に身を包んだ村人達が儀式を行い、ドラゴンダンスを披露したりします。またドゥオンラム村の特産品を売る露店が並び、普段は静かな神社もこの日は賑やかな声に包まれます。
 以下は、2013年2月17日に撮影したものです。


   
祭りのクライマックスは龍の舞。
二匹の龍がぶつかり合い、旗や武器を持つ兵士も踊る。
 
 


      
 出番を待つ兵士の衣装を着た若者達  


祭りの出し物に見入る。  祭りを見守る。
アオザイをまとい、頭にはベルベットの飾り。(右)
(自分の長い髪をまとめて頭の上に輪状にのせるKhăn vấnと呼ばれる伝統的なヘアスタイルを模している。) 
神社の入り口には赤と白の馬が
一対に置かれ、その脇には
刀を持つ門衛。 


 
   
 
上)赤いガックのおこわの上に豚の頭としっぽ
下)ガックのおこわの上に鶏一羽(雄鶏)、
その上の赤茶色いのは血を固めたもの。 
所せましと並べられた供物 


   
 祭りの儀式の後、お供えした食べ物を皆で分け合って食べる。 ドゥオンラム村の特産品。
チェーラム(Chè Lam ピーナッツ入り生姜味餅、右奥)や、
チェーコー(Chè Kho 緑豆を固めたお菓子、右手前)
 






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