ドゥオンラム(唐霖)村 ベトナムでは、家族や親類を非常に大切にしますが、モンフ集落は特に氏族の結束が強く、氏族の祖先を祀る祠堂がいくつも残されています。
◆ ザン・ヴァン・ミン祠堂 (Nhà Thờ Giang Văn Minh) ザン・ヴァン・ミン(江文明 Giang Văn Minh 1582~1639) は、ドゥオンラム村モンフ集落の出身で、1628年に科挙のタムホア(探花 Thám hoa ※1)に合格し、1637年に正使として明(中国)に渡りました。江文明が明の皇帝の前に出た時、皇帝が対句の上の句を「銅柱至今苔巳緑」(銅柱は今では苔むし既に緑色になっている。※2)と詠んだのに対し、彼は続けて「藤江自古血猶紅」(白藤江は古より血に染まり今猶紅い。※3)と返しました。この返句によって明の皇帝の怒りにふれた江文明は、1639年6月2日、処刑されました。 ※1 科挙試験の進士合格者の中で三位の者。 ※2 ハイバーチュンの反乱を平定した後漢の馬援が、「銅柱折 交趾滅」の六字を刻んだ銅柱を国境に立てた事をさして、ベトナムはもともと中国の属国であったと侮辱した句。 ※3 中国軍がバックダン川(Bạch Đằng Giang 白藤江 クアンニン省とハイフォン市の境を流れる。)で二回もベトナム軍に敗れたため、戦死した中国兵の血で赤く染まっているという意味。
◆ グエン氏祠堂 (Nhà Thờ Họ Nguyễn)
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