ドゥオンラム(唐霖)

先祖の祠堂


 ベトナムでは、家族や親類を非常に大切にしますが、モンフ集落は特に氏族の結束が強く、氏族の祖先を祀る祠堂がいくつも残されています。


 ファン氏祠堂(Nhà Thờ Họ Phan
  モンフ集落の名士、ファン(藩)氏一族の祠堂。

     
 藩氏の祠堂はモンフ亭の前の広場に面している。
撮影:2012年12月16日
”藩氏祠堂”と記された祭壇。
撮影:2010年2月28日
 




◆ ザン・ヴァン・ミン祠堂 (Nhà Thờ Giang Văn Minh)

ザン・ヴァン・ミン(江文明 Giang Văn Minh 15821639 は、ドゥオンラム村モンフ集落の出身で、1628年に科挙のタムホア(探花 Thám hoa ※1)に合格し、1637年に正使として明(中国)に渡りました。江文明が明の皇帝の前に出た時、皇帝が対句の上の句を「銅柱至今苔巳緑」(銅柱は今では苔むし既に緑色になっている。※2)と詠んだのに対し、彼は続けて「藤江自古血猶紅」(白藤江は古より血に染まり今猶紅い。※3)と返しました。この返句によって明の皇帝の怒りにふれた江文明は、163962日、処刑されました。 

1 科挙試験の進士合格者の中で三位の者。

2 ハイバーチュンの反乱を平定した後漢の馬援が、「銅柱折 交趾滅」の六字を刻んだ銅柱を国境に立てた事をさして、ベトナムはもともと中国の属国であったと侮辱した句。

3 中国軍がバックダン川(Bạch Đằng Giang 白藤江 クアンニン省とハイフォン市の境を流れる。)で二回もベトナム軍に敗れたため、戦死した中国兵の血で赤く染まっているという意味。

     
門には”江探花公祠”と記され、科挙の”探花”に合格したことを称えている。
撮影:2012年12月16日




◆ グエン氏祠堂 (Nhà Thờ Họ Nguyễn


 
赤い扉が目をひく門
撮影:2013年2月17日
 





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