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キムギウ通りの細い路地を入ったところに、第二次大戦中の1944年末から45年にかけて餓死された方々の慰霊碑があります。 1940年9月、日本軍はフランス植民地であったベトナム北部(インドシナ)に進駐、ベトナムを、フランスと日本の二重支配下に置きました。そして戦争末期の1945年3月9日、日本軍はフランス総督府を指揮下に入れるため武力行使を行い(明号作戦)、終戦まで駐留します。 このような状況の中、1944年秋の台風により、ベトナム北部・北中部は米の不作に見舞われます。更に、日本が水田をジュートなどの軍用作物の栽培に替えたことや、フランス総督府が米の貯蔵や移動禁止令をだしたこと、米軍の爆撃により道路や鉄道が寸断され南部からの米の輸送ができなかったことなどが重なり、多くの人々が餓死しました。犠牲者数については、ベトナム民主共和国の独立宣言の中で「200万人が餓死した。」とされましたが、定かではありません。 慰霊碑は、周囲を住宅に囲まれた狭い場所にありますが、横の建物には慰霊碑建設当時の写真などがあり、祭壇が設けられています。
所在地:hẻm 559/86/17 phố Kim Ngưu, Hà Nội |
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