ハイフォンは、ベトナムの5つの中央直轄都市のうちの一つで、人口はホーチミン市、ハノイ市に次いで185万(2010年)に達する港湾・工業都市です。トンキン湾を臨む、紅河平野のタイビン川系の下流、バックダン川(Bạch Đằng)、カム川、ラックチャイー川、ヴァンウック川(Văn Úc)、タイビン川(Thái Bình)などの河口に位置し、カム川河口にハイフォン港が開かれています。
<歴史>
ハイフォンの歴史は古く、先史時代から人が居住していたことを示す遺跡や、銅鼓(ブロンズドラム)で知られるドンソン文化の遺跡(Việt Khê)などが発見されています。また北属時代、漢の支配に抵抗したハイバーチュンの戦い(AD40~42)で活躍した女性将軍レー・チャン(Lê Chân)は、ハイフォンの地を開拓したことでも知られています。ベトナム北部は中国に近いことから、多くの戦いが繰り返されてきましたが、中でもハイフォンのバック・ダン・ザン(Bạch Đằng Giang白藤江 バックダン川の入江)は、938年にゴー・クエンが南漢軍を破り中国からの独立を勝ち取り、また1288年にチャン・フン・ダオがモンゴル・元軍を撃退した古戦場として有名です。
1870~1873年、グエン朝によりカム川の河口にニンハイ(寧海
Ninh Hải)港(現ハイフォン港)が建設され、同時に海防局(nha Hải phòng
sứ)が置かれました。ハイフォン(海防)の名はこれに由来します。
1873年、ベトナム北部はフランスの攻撃を受け、1874年、第二次サイゴン条約(デュプレ条約)でフランスに多くの権益を与えますがが、そのうちの一つが、ニンハイ港を通商のために開くことでした。その後フランス植民地時代へと入り、1888年、フランス植民地政府によりハイフォン市が設立されました。ハイフォンからハノイ、中国雲南省を結ぶ鉄道駅も置かれ、植民地時代、重要な拠点とされました。
第二次大戦が終結し、1945年9月2日にベトナム民主共和国が樹立されますが、フランスはそれを認めず、翌1946年10月、再びハイフォンに上陸、抗仏戦が開始されました。ディエンビエンフーの戦い(1954年)でフランスが敗北し、仏軍がハイフォン港から撤退したのが1955年5月13日、ハイフォン解放記念日とされています。
ベトナム戦争中は、旧ソ連などからの援助物資受け入れ港であったため、米軍の激しい空襲を受け、港や多くの工場、道路、橋や居住地が破壊されました。
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