ハンバック通り
phố Hàng Bạc

 
 シルバー製品の他、翡翠などのアクセサリーも売る。
撮影:2011年12月17日
場所:ハンバック通り、ハノイ

 この通りはハノイで最も古い通りの一つで、現在も通り名にあるように銀(Bạc)を扱っています。15世紀中頃の皇帝レー・タイントンの時代、ハイズゥォン省チャウケー村の人々がやって来て銀貨を作り始めたのがこの通りの始まりです。その他、ハノイ市外のディンコン村(現在はタインチ県に属する)のチャン家一族や、タイビン省ドンサム村の人々が、金銀の装飾品などを作っていました。 チャン家は金銀を扱う職業の始祖と言われます。19世紀にフエへ都が移されると銀貨の鋳造もフエで行われるようになり、ハンバック通りでは貨幣の交換をするようになりました。フランス統治時代も両替商が軒を並べ、Rue des Changeurs(両替商通り)と呼ばれましたが、1945年の独立後に再びハンバック通りとなりました。
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番地の家は、車道に沿って建てられていて、歩道のスペースを設けて建てるよう規制される以前の家です。また屋根の両側に火災の広がりを防ぐ階段状の壁“うだつ”が残っています。42番地は、かつてチャウケー村の人々が建てた金銀亭(
Đình Kim Ngân)で、職業の始祖を祀るほか、昔は銀の原料や商品を保管する場とし使われていました。2009年に新しく建てなおされてからは、様々なベトナムの文化を紹介する場としても活用されています。

現在ハンバック通りは、金の売買のほか様々な種類のアクセサリーを扱っています。お金を金塊に換えて持つことが多いベトナム人にとって、今なお賑やかな通りです。 

ハンバック通りとタ・ヒエン通りの角には、チュオンヴァン(金色のベル)劇場があります。1920年頃にフランスによって建てられ、現在もカイルゥォンが上演されています。建物の角には抗仏戦争の記念碑があります。194610月に仏軍がハノイを攻撃、1219日、ベトナム軍も全国的な抗戦を開始しました。この日から翌年217日までの約60日間、首都ハノイを守る部隊は抗戦を続けました。碑には「兵士達は1947114日、抵抗運動の忠誠を誓いこの階段に立った。死すともフランスに抵抗してベトナムを守る。」と記されています。その時の部隊の本部が置かれていたのがハンバック通り86番地です。やはりそれを示す碑がかけられています。


   
金銀亭の門
Đền Kim Ngân
ハンバック通り42番地
撮影:2012年7月3日 
金銀亭は、様々なベトナム文化を紹介する
スペースとしても使われている。
撮影:2012年8月3日 


     
 1947年1月14日に
誓いをたてたことを記した碑
(チュオンヴァン劇場正面の壁))
撮影:2014年10月17日
チュオンヴァン劇場
ハンバック通り72番(タヒエン通りとの角))
撮影:2005年頃
 


     
ハンバック通り86番地の家
”この家に、1946年12月~1947年2月まで、
ハノイ防衛部隊の指揮本部が置かれていた。”と記されている。
撮影: 左;2014年9月3日、 右;2005年10月16日


   
古い建物の面影を残す ハンバック通り47番地の家。
うだつがあり、また、道路ギリギリに建てられている。
撮影:2004年4月20日
 


 ハンバック通り
デンハンバックは、旗の所の細い入り口を入っていく。
撮影:2014年9月3日
デンハンバックの看板
撮影:2005年10月16日 
   
   




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