ハンバック通り
この通りはハノイで最も古い通りの一つで、現在も通り名にあるように銀(Bạc)を扱っています。15世紀中頃の皇帝レー・タイントンの時代、ハイズゥォン省チャウケー村の人々がやって来て銀貨を作り始めたのがこの通りの始まりです。その他、ハノイ市外のディンコン村(現在はタインチ県に属する)のチャン家一族や、タイビン省ドンサム村の人々が、金銀の装飾品などを作っていました。
チャン家は金銀を扱う職業の始祖と言われます。19世紀にフエへ都が移されると銀貨の鋳造もフエで行われるようになり、ハンバック通りでは貨幣の交換をするようになりました。フランス統治時代も両替商が軒を並べ、Rue des
Changeurs(両替商通り)と呼ばれましたが、1945年の独立後に再びハンバック通りとなりました。 現在ハンバック通りは、金の売買のほか様々な種類のアクセサリーを扱っています。お金を金塊に換えて持つことが多いベトナム人にとって、今なお賑やかな通りです。 ハンバック通りとタ・ヒエン通りの角には、チュオンヴァン(金色のベル)劇場があります。1920年頃にフランスによって建てられ、現在もカイルゥォンが上演されています。建物の角には抗仏戦争の記念碑があります。1946年10月に仏軍がハノイを攻撃、12月19日、ベトナム軍も全国的な抗戦を開始しました。この日から翌年2月17日までの約60日間、首都ハノイを守る部隊は抗戦を続けました。碑には「兵士達は1947年1月14日、抵抗運動の忠誠を誓いこの階段に立った。死すともフランスに抵抗してベトナムを守る。」と記されています。その時の部隊の本部が置かれていたのがハンバック通り86番地です。やはりそれを示す碑がかけられています。
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