もともとハンボー通りは東側の部分がスアンホア村、西側の部分がニャンノイ(仁内)村に属していました。それを示すように、ハンボー通り84番地に仁内祠(Đền Nhân Nội)があり、同じくニャンノイ村に属していたバッダン通りの33番地に、仁内霊祠(Đình Nhân Nội)があります。 20世紀初めには、この通りに多くの華僑が住んでいましたが、それは主に潮州人でした。彼らは穀物やびんろう樹の実、砂糖、ザボンなどの卸売りをしていました。潮州は海の近くに位置しているため、彼らは魚を好み、かつてハンボー通りの入り口には海産料理をふるまう潮州レストランがありました。また、潮州は広東省の一部ですが、福建省に近いことから、潮州人は広東人よりも福建人と親しく、潮州人と福建人が結婚する例も多かったそうです。
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