ハンブオム通り
ph
Hàng Buồm

 
いかにも中国らしい、旧広東会館の棟の上の装飾。
撮影:2014年9月3日
 

 この通りはマーマイ(Mã Mây)通りからラン・オン(Lãn Ông)通りまで東西を横断する通りです。この通りには、かつての中国人街の中心的存在である白馬祠76番地)の他、特にこの辺りは広東人の貿易商が集まっていたため、22番地には宗教と集会施設である広東会館が、28番地には関羽(関聖帝君)を祀る祠・関帝祠(Đền Quan Đế)などが建てられていました。他に中華レストランがたくさんあったことでも有名でした。
 ここは、昔はトーリック川がホン(紅)河に流れ込む地点で賑やかな船着き場があり、遠くからやってくる船の帆を作るための多種多様な布を売る店があったので、ハンブオム通り(ブオム=帆)と呼ばれました。仏領時代にフランスによって川が埋め立てられ船が入って来られなくなると、船の帆の売買から輸入品や食料品の売買へと変わりました。 

旧広東会館 (現幼稚園 Trường Mẫu Giáo Tuổi Thơ)

 ハンブオム通りに住んでいた広東人たちは、1803年、大きな集会所を建てました。それは、仲間同士の会合や商売の打ち合わせなどに利用され、広東人同士の結びつきを強めるのに大いに役立ちました。しっかりとした石造りの建物は、屋根の上などが色とりどりの瓦やタイルで装飾され、当時の華僑の裕福さとともに、大きなを持っていたことを偲ばせます。建物の入り口上部に「粤東会館」の文字が今も残っていますが、「粤東(えっとう)」というのは昔の広東省の別称です。入り口の右側には、中国の革命家孫文(広東省出身)1904年、辛亥革命の前にここに立ち寄ったことを示すプレートがあります。華僑は、革命を支えた大きな力のひとつでした。
 内部は太い梁のあるホールになっていて、ほぼ当時の原型をとどめています。入り口に近い左右の壁には、会館創立の由来と建設費用を寄進した人々の氏名などを記した石碑があったそうです。またホールの後方には別棟の廟があり、商売の神様として信仰されている関聖帝君が祀られ、今でも残されているそうです。この会館は現在幼稚園として使用されているため、中に入って見ることはできません。


<住所>
広東会館 22 Hàng Buồm, Hà Nội
関帝祠 28 Hàng Buồm, Hà Nội
白馬祠 76 Hàng Buồm, Hà Nội



 旧広東会館。現幼稚園。
22 Hàng Buồm , Hà Nội
撮影:2012年7月3日
建物内に掲げられている”広東会館”の文字
撮影:2004年4月20日 


孫文が1904年にここに立ち寄ったことを記した石碑
撮影:2004年4月20日
 
 


    
左右の軒下に一対の狛犬がある。
撮影:2014年9月3日
場所:旧広東会館
 
屋根の上の装飾。
魚がくぐると龍になるという「禹門」の文字が見える。
「禹門」とは登竜門のこと。
撮影:2014年9月3日
場所:旧広東会館
 


 関帝祠
28 Hàng Buồm, Hà Nội
撮影:2012年6月29日
 白馬祠
 76 Hàng Buồm , Hà Nội
撮影:2012年5月12日


  
 現在は、コーヒー豆や菓子などを売る店が多い
ハンブオム通り
撮影:2014年1月10日
広東の豚の丸焼きなどの店
撮影:2005年12月15日 

   
   




 ハノイ旧市街トップへ




ハノイ歴史研究会トップページへ
 このページのトップへ



Copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All Rights Reserved



inserted by FC2 system