ハンガン通り
Phố Hàng Ngang
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ベトナム風の家(左)、フランス風の家(中央)が混在する。
撮影:2014年9月13日 |
この通りは、かつて多くの華僑が住んでいた通りです。15世紀、ハノイではハンガン通りのみが華僑の居住区とされていました。一旦フンイエン省へ移住させられますが、17世紀頃ハノイに戻り、この通りのほか周辺の通りにも出身地別にまとまって住むようになりました。そしてハンガン通りは主に広東人が住む所となったのです。
裕福な彼らは防犯のためハンガン通りの両端に門を作り、夜間は閉じていました。屋根のある大きく美しい門だったようです。通り名の由来については、Ngangが「遮断する」という意味を持つからという説がありますが、確かではありません。通りはさほど長くはなく、家は30軒ほどで、そのうち約20軒が絹や綿の糸や生地を扱う商店でした。そしてその半分近くが兄弟あるいは親戚同士であったということです。仏領時代には、これらの商店がフランスの織物会社の仲介業者の役割も果たしました。ほかには中国スタイルの服の仕立て屋、中国やフランスからの輸入雑貨の店などがありました。お茶を売る店もありましたが、ベトナムのお茶を中国産と偽って売ることがあったようです。
この通りは昔、広東省を「粤東」と呼んだため、ヴィエッドン(粤東)通りと呼ばれたこともあり、また1945年以前は、Rue des Cantonnais(広東人通り)と呼ばれていました。
ハンガン通りは、ドンスアン通り、ハンドゥォン通り、ハンダオ通りと共に旧市街の中央を縦断する比較的道幅の広い通りの一部分です。仏領時代にドンスアン市場がつくられてから、市場とホアンキエム湖南側のフランス人居住区を結ぶ重要な道となりました。現在も、週末の夜には露店が並ぶ歩行者天国になるなど、旧市街で最も賑やかな通りのひとつです。
48番地には、ホーチミンが独立宣言を執筆した家が記念館として残されています。
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ハンガン通り48番記念館
撮影:2012年8月3日 |
サークーの木がそびえる。
撮影:2013年6月3日 |
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天秤棒の魚売り
撮影:2014年9月13日 |
現在は服を売る店が多い
撮影:2014年1月10日 |
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古い家が挟まれて建つ(中央)。
撮影:2014年9月13日 |
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週末の夜は露店が並び、大変賑わう。
撮影:2014年12月13日
場所:ハンガン通り、ハノイ |
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