ハンクアット通り
ハンクアット通りは、ハンガイ通りと平行して北側を走る、車通りの少ないのんびりとした雰囲気の通りです。クアットは扇子のことですが、現在は様々な仏具を売る通りです。多くの仏具店が軒を連ねる様子は、先祖を祀る祭壇や、商店に必ずといっていいほど置かれている土地神・財神の祭壇がベトナム人にとって大変大切なものだということが感じられます。この通りの一部分は、昔はベトナム伝統楽器を売るハンダン通りと呼ばれました。現在、楽器屋は、近くのハンノン通りなどに数軒見られます。 ハンクアット通りの66番地には、白壁に赤い扉の門構えが目立つザウ(Đền Dâu) (又は順美祠(Đền Thuận Mỹ))があります。正面の扉が開くことはなく、縁日の際は左側の狭い路地にある入口から中に入ることができます。中は骨董品屋と見間違うほどのたくさんの像や鐘、壺などが所狭しと置かれていますが、奥には聖母道の神が祀られています。 その向かい43番地は、現在は6歳から16歳までの生徒約500人が学ぶ私立のグエン・ヴァン・トー学校です。もともとこの建物は仏領期1892年に、ベトナム初の私塾として建てられました。「致知会」という勉学の互助会が経営する「致知学校」で、会員がフランス語を学ぶ所でした。躯体は西洋風の白い建物ですが、上部の題額に「北部致知会」の文字と、その下にこうもり(蝙蝠)が浮き彫りにされています。こうもりの「蝠」(phúc) の字が「福」(phúc) と同じ発音のため、縁起の良いモチーフとしてベトナムでも用いられています。1938年から1945年までは文盲克服を目的としたクオックグー普及センターの本部兼学校で、その設立者の名がグエン・ヴァン・トーでした。当時ベトナム人の就学率が低く、インドシナ共産党によって文盲克服運動が繰り広げられていたことが背景にあります。 ルゥォン・ヴァン・カン通りに近い4番地は、ハンガイ坊の戦没者慰霊堂です。昔、扇子作りの祖を祀る亭として建てられた建物ですが、現在は、1945年から1979年にかけて戦死した人々の名を記した大きな碑が安置されています。
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