<地上会議室> 1967年から2004年4月までベトナム共産党の政治部中央軍事委員会は、抗米戦争の戦略に関する決定を含む重要な会議をここで開催しました。特に1974年12月18日から1975年1月8日まで、南部解放に関する議決を行い、1975年のベトナム全土統一を導きました。建物中央に会議室があり、テーブルの上には、ヴォーグエンザップ将軍やレーズアン書記長などのネームプレートが置かれ、当時の会議の様子がよみがえってくるようです。壁には当時の戦略地図が貼られています。会議室の左右には三つの部屋があり、一つはヴォーグエンザップ将軍の部屋です。
<地下室> D67 の建物の入り口の前、左右から地下に下りる階段があります。地下には会議室と、機材などが置かれた小さい部屋の二つがあります。ハノイ城がベトナム軍の所有になってから、当時のソ連の援助で作られました。扉は鉄製で、地下室は原爆にも耐えられると言われています。地下室からさらに地下道が伸びていて、ハドンまで続いているとのことです。地下道の入り口をのぞくと、抗米戦のさなかの緊張感が伝わってきます。
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