ハノイ城 - 後 楼
Hậu Lâu

 
撮影:2011年12月13日 


 南から見ると、敬天殿の後ろ(北側)に位置するため、後楼と呼ばれます。 ここは、19世紀グエン()朝時代、皇帝が都のフエからハノイを訪れ敬天殿に宿泊した時、随行してきた側室や女官達が皇帝のお世話をするために控える場所とされていました。 建物は三階建てで、屋根には龍の頭の装飾があります。19世紀末フランスがハノイ城を占領した時、フランスによって破壊されてしまいましたが、再びフランスによって建て直されました。

1998年から99年にかけて発掘調査が行われ、リー朝、チャン朝、後レー朝の時代の建築資材や食器など多くの遺物が発見されました。そのうち、柱の礎石が後楼の前に展示されています。この楼閣は後レー朝時代からあったとされていますが、数百年さかのぼって、リー朝期も城の位置はこの辺りであったことが、これらの発掘品からも証明されたわけです。

    1998年に地下3.5mの深さから発掘された礎石。
蓮の花びらの彫刻は、仏教が盛んだったリー朝
時代特有の模様。
 撮影:2011年10月12日  



   

後楼の目の前にある”卵の木( Cây Trứng Gà)”。
秋から冬にかけて実がなり、
色が綺麗なため、テトの時にお供えに使われる。
撮影:2011年12月13日
 



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