ハノイ薬科大学
Trường Đại Học Dược Hà Nội
1902年ベトナムで最初の医薬の学校であるインドシナ医薬学校が開かれました。初代校長はインドシナで偉大な業績を残したフランス人医師イェルサンでした。建物はシンプルなネオ・クラシック様式です。この建物は1904年に完成し、その年号が建物上部に記されています。
フランスが統治を始めた頃、人々の健康状態は悪く伝染病が蔓延していました。1898年、パリの医薬学校の教授が健康調査のために赴任し、2年後に、地元の医者を養成するために早急に学校を設立する必要があると、ポール・ドゥメル理事長官に提言しました。1902年になって学校創設が承認され、初代校長として選ばれたのがイェルサンでした。パリからは二人の教授と二人の若いインターンが呼び寄せられ、357人の候補者の中から30人が入学を許可され、授業が始まりました。しかし、1902年10月ポール・ドゥメル長官の代わりに着任したポール・ボー理事長官は、この医薬学校に強く反対、「ベトナム人に西洋医学の教育は必要ない、看護婦が少しいれば十分だ」と主張し、学校を軍の指揮下に置こうとしました。1904年7月イェルサンは失望してキャンパスを去りますが、当時のトンキン知事ブローニの熱意のあるサポートと忍耐強い説得のおかげで、学校は軍の干渉を受けずに運営を継続することが可能となりました。1907年、6人の最初の卒業生が誕生しました。そのうち4人は奨学金を得てフランスへ留学し、そこで博士号を得た二人がのちに著名な医師となったのです。
参考資料: 『歩こうハノイ④ フランス租界地を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2004
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