徐道行禅師の伝説


 徐道行(Từ Đạo Hạnh)はハノイのラーン村で生まれた。父の徐榮は僧官で、貴族の延成候と不仲で、邪術をもってさからっていた。延成候は大顛(だいてん)禅師に頼んで徐榮を呪い殺したので、復讐を誓った徐道行は、仏跡山(タイー寺)で修行の跡、大顛禅師を打ち殺した。徐道行は、さらに長く皇太子に恵まれなかった時の李朝第四代皇帝仁宗(在位10721127)が、後継者と目した覚皇という怪童を呪い殺す。仁宗は徐道行を捕らえ興聖楼に繋ぎ処刑を待たせるが、同じく息子のいなかった仁宗の弟崇賢候(すうけんこう)が、興聖楼の近くを通りかかった。徐道行は崇賢候の息子として生まれ変わりたいとして哀訴し聞き届けられ釈放される。崇賢候夫人杜氏は入浴中を徐道行に覗かれたあと、にわかに妊娠し男子陽煥(ようかん)を生む。同時に徐道行は仏跡山の岩窟で亡くなった。仁宗の養子となった陽煥は、李朝第五代皇帝神宗(在位11281138)として即位し、世に徐道行禅師の生まれ変わりと言われる。
 このような復讐、殺生、転生の伝説は、李朝政権が仏教の神秘性や仏僧の超人的な力に頼ったことを示している。


参考資料: ハノイ歴史研究会第14回史跡めぐり資料 大西和彦 2003



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