キムラン陶磁器歴史博物館
有名な観光地バチャン村のすぐ南側に、もう一つ陶器の村があります。キムラン(金蘭)という美しい名を持つこの村の歴史が、近年、考古学者の西村昌也氏・西野範子氏の協力によりひもとかれました。キムラン村歴史研究会の古老が紅河の川べりで茶碗のかけらを発見したのが2000年。自分達の村の歴史を探りたいとベトナム考古学院へ依頼、2001年より西村氏らと考古学院によって発掘調査が行われました。その結果、現在はバッチャン村に名声を奪われているこの村で、昔、高級陶磁器が生産されていたことが判明しました。そして2012年3月、多くの日本人の寄付や資金援助を受け、出土品の展示と、ひもとかれた村の歴史を紹介する陶磁器歴史博物館が完成しました。 現在キムラン村では陶磁器が生産されていますが、長い歴史の間には生業の変遷、また、ベトナム史の著名な人物や出来事との関わりもありました。 発掘調査によると8~9世紀頃にはキムラン村のある場所には人が居住していたことがわかり、その頃ハノイを治めていた中国の節度使、高駢(カオビエン)は、紅河が蛇行するこの地点を風水上重要視していたようです。キムラン村に桑の栽培を教えたという記述も史料に残されています。ベトナムが中国から独立した後の長期政権、李朝、陳朝期にあたる12~15世紀には、この村に朝廷により管理された工房があったと考えられます。獣面や建物の装飾品など、普通の農村では作られないような物や、朝廷が管理していたことを示す“官窯”の文字が記された皿などが出土したことから推測されます。現在の技術でも難しい、コバルトと鉄を同時に使って絵付けされた陶器もこの村から発見されました。最も出土品が多いのは13~14世紀の陳朝期で、その頃活発に生産されていたことが窺われます。15世紀初め、レーロイ(黎利)が明(中国)を撃退した時、キムラン村はバッチャン村などと共にレーロイ軍の拠点となりました。 しかしその後、16~17世紀頃から長い間陶磁器産業が途絶える時期をむかえます。16~17世紀頃は青銅鋳造、19世紀初めには養蚕業を生業としました。そして20世紀になり、1950年頃バッチャンに窯業合作社が作られ、キムラン村からも工員が集められました。窯業技術を得たキムラン村は、1980年生産自由化後、陶器を生産販売するようになり、4、500年もの長い間途絶えていた窯業がキムラン村に復活したのです。 ベトナムの陶磁器技術は北属期に中国から伝わり、独立後は中国と同等、時にはより質の良い物までも作られ、海外に輸出され日本にももたらされました。博物館にはキムラン村出土品以外にも、ベトナム各地やアジアの陶磁器、更に最近の陶芸作家の作品の展示、またアジア陶磁器全般にわたる日本語の解説パネルがあります。キムラン村から視点を広げ、陶磁器についての理解も深めることができる博物館です。バッチャン村から車で10分、是非足をのばしてみてください。
<場所> ハノイ市ザーラム県キムラン社(“社”は、村にあたる呼び名。) 大きな地図で見る <開館> 土日:8~4時頃(11~2時は昼休み) 2012年3月20日に行われたキムラン社陶磁器歴史博物館開館式の様子
西村氏が代表を務める東南アジア埋蔵文化財保護基金のホームページ: http://www.geocities.jp/nixi_archaeology/ |
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