ベトナムのキリスト教
( カトリック ) 

 

現在、ベトナムには約800900万人のカトリック信者がいます。これは人口の約10%を越す数字で、アジアではフィリピン、韓国に次ぐ信者数です。

 <歴史>

ベトナムにキリスト教が伝来したのは1533年、北部ナムディン省でポルトガル人の宣教師が宣教を始めました。1615年、スペイン、ポルトガルの宣教師によってホイアンに「伝導教会」が設立され、その後北部、中部の各地に教会が建てられ、医療や教育などを通じて貧しい人々の間に教えは広まっていきました。

 <キリスト教信者の増加>

今ベトナムで使用されているクォック・グー(国語)と呼ばれるローマ字表記は、1624年に来越したフランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードによって、宣教のために考案されたものです。彼は通算7年に及ぶベトナム滞在中に、このクォック・グーを使用して『ラテン語―ポルトガル語―ベトナム語対照字典』や『公教要理』を作り、カトリック信者を増やしていきました。


 <キリスト教の弾圧>

しかし17世紀末、儒教を重んじる封建社会で、当時の権力者チン()氏によりキリスト教は禁止されます。外国人宣教師は国外追放され、教会は焼き払われ多数の信者が殺害される大弾圧の時代がありました。そして19世紀前半のグエン()朝によるキリスト教迫害は、植民地支配を招く一因になりました。

 <仏領時代>

19世紀後半、フランス統治時代になって再び、北部の貧しい地域を中心にキリスト教が広まり、各地に教会が建てられました。現在ハノイにある主な教会はこの時代に建設されたものです。

 <ベトナム戦争時代>

1954年フランス支配が終わり、ジュネーブ協定によってベトナムが南北に分断されたとき、100万人以上の人が北から南へ難民として逃れていきました。その内約80万人はカトリック信者でした。1951年インドシナ司教会議が、信者に共産主義者との共闘を禁止した「司教教書」を発布していたからです。

1955年、アメリカの後押しでカトリックのゴ・ディン・ジェムが南ベトナムの大統領になり、カトリックを優遇する政策をとっていきます。こうした中で、北から来た信者たちは親米の政権を支えて闘っていたようです。

 <南北統一後>

1975年の南北統一後、共産主義体制のもと、仏教同様キリスト教の宗教活動は様々な制約を受け、信者及び教会は苦しい状況におかれました。しかし1986年ドイモイ政策がとられてから状況は改善されていきます。1993年にはドー・ムゥォイ共産党書記長がニンビン省のファッジエム教会を訪れたことが報道され、事実上の宗教解禁がなされたようです。 

現在ハノイには約20のカトリック教会があり、最も有名なのはハノイ大教会(聖ヨセフ大聖堂)です。ベトナム北部教区を司る教会で、敷地内に神学校もあります。クリスマスには多くの人が訪れ、信者だけでなく一般の人々にも親しまれています。ハノイ城北門近くにある北門教会(ファン・ディン・フン通り)は、ステンドグラスの薔薇窓が美しい教会で、日曜には英語のミサが行われています。その他ハノイ中心部にある教会としては、ハンボット教会(トン・ドゥック・タン通り)、聖マリア教会(ハイバーチュン通り)、ハムロン教会(ハムロン通り)などがあります。


 
聖マリア教会
撮影:2006年6月29日
ハンボット教会
撮影:2006年6月29日
 
 ハムロン教会
撮影:2012年2月22日

* ベトナムのプロテスタントは、20世紀初めにアメリカからもたらされましたが、信者数はカトリックの1/10以下で、そのほとんどは中、南部に居住しています。

 

参考資料: 『歩こうハノイ⑥ ドンダーの丘周辺を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2007


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