オペラハウス側面 

胡朝城
Thành Nhà Hồ

                                         撮影:2011年12月14日

胡朝城では石組みの技術の高さに驚かされます。大きなものでは16トンにもなる巨石(石灰岩の切石)が精緻に組み上げられ、その隙間にはカミソリすら入らないほどです。『大越史記全書』によると、陳朝の光泰10年(1397)にわずか3ケ月で建設されました。

 工事を急いだのは、当時大きな脅威だった中国・明の永楽帝(在位1402~1424)の侵攻に備えるためでした。しかし、完成からわずか10年後、胡朝は、陳朝復興を名目にして攻めこんできた明に滅ぼされます。 このとき、捕虜として連行された8000人ほどの胡朝の工人たちは、明では土木技術者として厚遇されました。
 その中でもっとも有名なのが、グエン・イェン(阮安 ?~1456)です。明朝に宦官として仕えたグエン・イェンは「神眼」の持ち主で、目視でおこなった測量が実測値とすべて一致していたという伝説が残っています。北京の紫禁城の奉天殿、華蓋殿、謹身殿(いずれも名称は当時のもの)の主要な宮殿や、9つの城楼などが、彼の手によって造営されました。また、内側が土塁で崩れやすかった北京の城壁を、レンガ造で再建したことでも知られています。

 ベトナムは、中国やフランス、旧ソ連などから長らく技術移転を受ける側に甘んじ、常に受け身であるような印象を受けます。生産技術なども「一家相伝」で、家族が四散したために技術が途絶えてしまうことがよく見られます。
 しかし、この時代においては、ベトナムで生まれて胡朝城の建造を可能にした高い土木建築技術が、中国に伝わっていたのです。中国から国を守るために培われた技術が中国で花ひらいたことは、いささか皮肉ですが、ベトナム技術史上特筆すべき、技術の発信であったと言えるでしょう。
 2010年、世界文化遺産に登録されたとはいえ、まだまだ観光客の姿はまばらです。タインホア市から国道45号線を進むと南門に、新しく開通した「ホーチミンの道(đường Hồ Chí Minh)」でクックフーン国立公園を抜けて行くと、裏口にあたる北門にいたります。素朴で力強い魅力の胡朝城。ハノイからは車で約4時間の道のりですが、一見の価値があります。


出土した宮殿の屋根飾り等。遺跡横の資料館にて展示中。 左)鳳凰の頭部  右)おしどり
撮影:2011年12月14日


左)南門城壁上から北門方面を望む   
右)遺跡の中央付近に残された竜の彫り物。階段の飾りに使われた。           

撮影:2011年12月14日


参考文献:第29回ハノイ歴史研究会 史跡めぐり参考資料 大西和彦著



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