ハノイ歴史研究会
2014年 知ろうベトナム!講演会


 日時  2014年11月20日(木)  8時半~13時半頃
 史跡めぐり  ロンドイソン寺(ハーナム省) 
 講師  大西和彦先生
 
李朝期1121年建立の石碑
撮影:2014年11月20日

 ハノイの南約50㎞、紅河とダイー川、チャウ川の三つの河川が交わる地点に、ロンドイ山(龍隊山)があります。ロンドイ(龍隊)とは、龍が群がるという意味です。李朝時代、平坦な紅河平野を流れる河川の合流地点は交通の要衝であり、そこにそびえるロンドイ山は神聖視され、山頂に仏塔が建てられました。現在山の上に建つロンドイソン寺には、仏塔の建立や最古の水上人形劇について刻んだ石碑(1121年)が残されています(右写真)。山は数匹の龍が群がるかのようないくつかの起伏があり、300段ほどの階段を上がると、山頂からはどこまでも続く平坦な田畑が臨め、李朝が開拓しようとしたこの地の重要性を実感しました。



 日時  2014年10月16日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  ベトナムの古都ホアルー  
 講師  大西和彦先生
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 
 
石灰岩の奇岩に囲まれたホアルー
撮影:2014年8月7日

 ホアルーは、ニンビン省に位置する石灰岩の山が連なる地域で、中国から独立を果たした後の動乱の時代を平定して開かれたディン朝(968980)と、次の前レー朝(9801009)の都でした。都はW字形の石灰岩の山を城壁にして造られた天然の要害でしたが、土地が狭く低湿地で気候的にも厳しかったことから、李公蘊(李朝初代皇帝)によってタンロン(現ハノイ)に遷都されました。しかしその後も、陳朝期(12251400)に武林離宮が建てられ、軍事、宗教の拠点としての役割を担いました。現在ホアルーには、2王朝の王を祀る神社の他、ディン朝時代に造られた経柱(仏教の経典などを刻んだ石柱)などが残されています。近年は、澄んだ水を湛えたチャンアンと共に、観光地としても注目されています。



 日時  2014年9月18日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  チャンパ王国とベトナム  
 講師  大西和彦先生
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 

 チャンパ王国は、チャム族によって192年にベトナム中部に建てられた国です。10世紀頃、北はゲアン省から南はビントゥアン省までの広い領土を持ちましたが、南進してきた北部の大越国(ベト族)と抗争を繰り返し、特に1471年、大越国の皇帝黎聖宗の親征により領土は大幅に縮小され、1832年に消滅しました。現在チャム族は、ベトナムでは人口10万ほどの少数民族となっています。しかし大越国が南進の度に連れ帰ったチャム人により、その文化的影響は残されました。ベトナム料理に欠かせないニョクマムは、元々チャム人のものです。
 日本との関係も深く、8世紀に日本に渡来したチャム人の僧侶・仏哲は林邑楽を伝え、悉曇表(サンスクリット語)で日本語の五十音順を教えたといいます。また、チャンパ王国の領土であった中部は、朱印船貿易で日本が輸入した沈香の最高級品・伽羅の産地でもありました。



 日時  2014年6月19日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  私ノ父ハ日本人デス
 講師  小松みゆき氏
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 

 第二次大戦敗戦当時、仏印に駐留していた日本兵の中に、ベトナムの土になることを選び、ベトナム人士官を養成するなどベトミンに協力、抗仏戦勝利に貢献した人々がいました。彼らはベトナム人女性と結婚し家族を持ったにも関わらず、ディエンビエンフーの戦いに勝利した年(1954年)、日本への帰国を余儀なくされます。家族は離れ離れとなり、ベトナムに残された家族の生活は苦しく、日本人との混血である子らは差別を受けました。元日本兵達は帰国後、日本ベトナム友好協会を設立するなど、日越の交流・交易を担っていきます。ベトナム戦争が終結し、平和な時代が訪れ、やっと再会を果たせた家族もいました。小松さんは、ご自身が追ってきたこれらの家族を多くの写真と共に紹介し、歴史に翻弄されながらも、日越交流の礎になった人達がいたことを忘れてはならないと、述べられました。



 日時  2014年5月15日(木)  9時半~11時30分
 見学会  軍事博物館 28 Điện Biên Phủ, Hà Nội 
 講師  大西和彦先生
 
 ディエンビエンフーの戦いで活躍した
日本製の山砲を説明の大西先生
 

ベトナム軍事史上名高い、宋を撃退したリー・トゥオン・キエット11世紀)、白藤江でチャン・フン・ダオがモンゴル・元を撃退した戦い(13世紀)などから20世紀まで、様々な戦いについて解説頂きました。抗仏戦争やベトナム戦争で活躍した数々の兵器が展示されていますが、その中で、1946年のフランスとの60日間の攻防戦に使われた特攻兵器ボムバーカーンや、ディエンビエンフーの戦いで使われた山砲など、日本製の兵器があったことは印象的でした。中庭にはベトナム戦争中の1972年に撃墜したB52の残骸のモニュメントがあり、ベトナムの勝利を誇っていますが、勝利の陰に、ベトナム側でも膨大な死者を出していることを考えなければならないと、締めくくられました。



 日時  2014年4月17日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  フランスに勝利した日
 講師  大西和彦先生
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 

 ディエンビエンフーは、ベトナムとラオスの国境付近にある山岳地で、フランスはここにベトミンを誘引撃滅する作戦をたてた。フランスは先入観によりベトナム側を軽視し、ベトミンには大砲装備がない、たとえあっても山地に配備することは不可能だと判断した。しかし実際は、大砲を山に運び上げ、穴をほって隠し配置することに成功。またベトミン兵士達は、第二次大戦後にベトナムに残留した日本軍兵士達により、軍事教育、訓練を受けていた。56日間戦われたディエンビエンフーの戦いは、195457日、ベトミンの勝利に終わったのである。



 日時  2014年3月20日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  私の体験的ベトナム論 ~日越国交40年を振り返って~
 講師  日隈眞澄氏
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 

 19739月にベトナムと日本が国交樹立した一ヶ月後、日隈さんはハノイに留学しました。その時のハノイはのどかな状態だったそうですが、南部では依然激しい戦闘が続いていました。当時、日本からの郵便は1年かかって到着し、またハノイの街にレストランは2軒のみだったそうです。
 講演では、留学から40年にわたって係わってきたベトナムについて、様々な面から語られました。ベトナムは社会主義とはいえ民衆の力が強く、宗教は比較的自由であること、経済については海外援助によりこの20年で急成長してきたことなどを述べられました。また、2020年の工業国化を目指すベトナムの将来についても触れられました。私達参加者も、40年前のハノイの情景からベトナムの未来の姿まで思いを致す講演でした。後半では、日隈さんの70~90年代の写真と共に、楽しいエピソードも紹介くださいました。

詳しくは日隈さんの著書、『現代ベトナム論』本の泉社 2013 で。



 日時  2014年1月17日(木)  9時半~11時45分
 講演会テーマ  ベトナムのテト
 講師  大西和彦先生 
 場所  ベトナム日本文化センター (27 Quang Trung, Hà Nội) 
 
桃の花

 

 テトの行事は竈神の送神に始まり、竈神が不在の家を護るため飾られるのが、桃の花です。大晦日の晩には家の前に祭壇が準備され、新旧の年神の送迎が行われます。正月にベトナム人家庭を訪れる際は、主人の干支と相性の良い人を選びます。またベトナムでは、子供だけでなくお年寄りにもお年玉をあげます。そしてテト最後の行事は、旧暦115日の星祭です。悪い星にあたる年回りの人は、入念に厄除けを行い、年初の行事を終えるのです。





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