給水塔 Tháp Nước Hàng Đậu
現在は旧市街の北のランドマーク的な存在となっているこの給水塔は、フランス植民地時代の1894年に造られました。当時ベトナムでは、生活用水として、井戸や雨水、川や湖の水が使われ、衛生状態は悪く疫病が蔓延していました。1886年には、トンキン・アンナン(ベトナム北部と中部)の理事長官に就任したポール・ベルが、赤痢のため亡くなり、在住フランス人の間で要求が高まり、西洋の水道システムが造られました。塔は高さ25mのどっしりとした円筒形で、中には1250立方メートルのタンクが備えられていました。外観は三層に分けたデザインで、一番下の層にはアーチデザインが用いられています。旧市街の北の、ハンダウ(Hàng Đậu)通り、ハンタン(Hàng Than)通り、ファンディンフン(Phan Đình Phùng)通りなど6つの通りが交わる地点に建ち、当時は、ハノイ城付近や、政府の役人や兵士達の居住地域、旧市街などへ水を供給していました。 同年、当時のフランス租界地の最も南のあたりに、もう一つ“ドントゥイー(Đồn Thuỷ)給水塔”が造られました。こちらは、この近くに位置した病院や、ホアンキエム湖周辺、現在のチャンティエン通り付近の西洋人居住地域に供給されました。塔は現在も残されていますが、チャンフンダオ通り近くのディンコンチャン(Đinh Công Tráng)通りの奥に位置し、周りの建物に囲まれ、全景を見ることはできません。
参考資料:Tháp nước – Wikipedia tiếng Việt |
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