ベトナム北部を流れる紅河(Sông Hồng)にかかるロンビエン橋は、今から約百年前、フランス植民地時代に造られ、ベトナム戦争中、米軍により何度も破壊されながらも修復され、今日もなお利用されています。
インドシナ総督ポール・ドゥメル(総督在位1897~1902)は、植民地財政をフランス本国にたよらず、住民から人頭税や土地税などを徴収、またアヘンや塩の専売により収入を増やし、その収益で大規模公共事業に着手しました。1900年頃から北や南に向かう鉄道路線が敷かれ、またハイフォンに港が開設されたため、ハイフォンとハノイを鉄道で結ぶためにこの橋が建設されました。工事はフランスのDayde et
Pille
(ダイデ&ピル)社が落札し、1899年起工、1902年に長さ約1.7kmの鉄橋が完成しました。総督の名をとり「ドゥメル橋」と呼ばれ、当時インドシナ植民地で最大かつ最も美しい橋だったといいます。
鉄のがっしりとしたトラス構造(細い鋼材を三角形に繋ぎ合わせた構造)の雄大な橋ですが、オリジナルのシルエットはエッフェル塔を横にしたようだとも言われ、優雅な曲線も併せ持っています。川の中央付近の山形デザインは破壊されたままになっていて、戦争の激しい爆撃を思い起こさせます。
ロンビエン橋は、1980年代半ばまで鉄道の他、車やバイク、自転車、歩行者全てが利用していましたが、1986年にチュオンズオン(Chương Dương)橋ができてからは、車やバイクの通行は不可となりました。 その後チュオンズオン橋の渋滞緩和のため2005年から再びロンビエン橋のバイク通行が許可され、現在(2013年)に至っています。
“ロンビエン(龍編)”とは、”龍が躍る”という意味で、現在、ハノイ市中心部側から橋を渡った向こう側の地区に、ロンビエンの名がつけられています。
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