リー・クオックスー(李国師)

Lý Quốc Sư

リー・クオックスーは本名をグエン・チー・タイン(阮至誠)と言い、若い頃、南の方の長安(現在のニンビン省ホアルー)で家庭を持ち、漁師だったそうです。その後、修行のためインドへ巡礼の旅にでかけました。苦難の末、悟りの境地を開いて、僧名をミンコン(明空)禅師とし、故郷と都を往復して仏教の布教をしていました。

リー・タントン(李神宗)帝は即位3年目にして奇病にかかり、全身は黄色や黒い毛に覆われトラのようになり、口からはトラの啼き声が聞かれました。侍医らがあらゆる処方箋、各種の薬草を使って手当てをしても、一向に帝の病状は回復しませんでした。朝廷の人々はとても心配し、中でも太后(帝の母)は「帝の病を治した者には、王権の半分を与える」と全国に告示したそうです。たくさんの僧侶や医者が集まってきましたが、帝の病はよくなりませんでした。ある時太后の近衛官が、水牛飼いの少年たちのわらべ歌を耳にしました。

タプ・タプ・ボン   

グエンミンコンは 帝の病を治すのさ

    タプタムバン タプタムバン

    国王の病をなおしたければ

グエンミンコン公に聞くがよい

 

この報告を受けた太后は大喜びし、武将と五百人の兵士をミンコンの寺に派遣しました。ミンコンは要請を承諾して、兵士たちにささやかな昼食を用意しましょうと、言ったそうです。小さな鍋で二人分のお米と一羽の雀で料理をしたのに、なんと兵士たちは満腹になりました。

お昼寝から目覚めると、不思議なことにミンコンと武将、五百人の兵士は都に到着していました。ミンコンは大きな釜に油と薬草と百本の釘を入れてしばらく煮沸し、薬湯を素手でかきまわし薬湯の加減をみたそうです。それから、奇病の帝を薬湯の中に入れ全身を洗いました。不思議なことに、黄色い毛や黒い毛が抜け落ち、帝はもとの身体に回復したそうです。

ミンコンは、これにより朝廷から国師(クオックスー)の名を賜りました。彼はこのリー・クオックスー寺にて、名医と聞いて集まった人々の奇病難病をすすんで診たそうです。朝廷からの褒美は何ひとつもらわず、故郷の長安に帰り、114176歳で亡くなりました。




リークオックスー寺へ

参考文献: 『日本のなかのベトナム』 後藤均平




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