マーマイ通り
マーマイ通りは、ハンブオム通りからハンバック通りに突き当たるまでの道です。仏領時代には、通りの南に劉永福(リュウ・ヴィン・フック1837-1917:中国広東省の人)率いる黒旗軍※の一部が駐屯していたことから黒旗軍(Quân Cờ Đen)通りと呼ばれていました。その後、通りの初めの部分は竹や籐製品を売る店が多くハンマイ(Mây=籐)通りと呼ばれ、残りの部分は葬儀祭礼などで使われる紙製の冥器(めいき)の店が多かったのでハンマー(Mã=冥器)通りと呼ばれました。1945年以降は2つの通りが一緒になり、マーマイ通りと呼ばれるようになりました。マーマイ通り87番地には、19世紀に建てられた町屋を復元した“マーマイハウス”があります。 マーマイ通りとルゥォン・ゴック・クエン(Lương Ngọc Quyến)通りの角にある香象霊祠は、1375年陳朝の時代に建てられ、その後修復を繰り返し、仏領時代、植民地政府によって規模が縮小されました。ここには、グエン・チュン・ガン(阮忠彦Nguyễn Trung Ngạn 1289-1371)という人物が祀られています。彼は、幼い頃から神童といわれ、16歳で科挙試験に合格、陳朝第3代皇帝チャン・ニャン・トン(陳仁宗・在位1278-1293)、第7代皇帝チャン・ズ・トン(陳裕宗・在位1341-1369)に仕えました。政治、経済、外交、文学と多方面に傑出した才能を有した彼は、元(モンゴル)への使節団長をはじめ朝廷の要職を歴任した後、1341年チャン・ズ・トンが皇帝に即位した折、都タンロン(現ハノイ)の初代京尹(市長)に任命されました。門関にかかる対聯には「萬古勲名京師大尹」「歴朝封贈上等尊神」と刻まれ、香象霊祠がハノイの市長グエン・チュン・ガンを祀る神社であることを示しています。 <香象霊祠 住所> 64 Mã Mây ※ 黒旗軍とは、1850年中国で起こった太平天国の乱の残党。ベトナムの阮朝に雇われ、1873年ベトナムへ侵攻してきたガルニエ海軍大尉を、1883年リビエール海軍大佐を、それぞれ同じくカウザイ(ハノイ市西郊)の戦いで戦死させる大きな戦功をあげた。
ハノイ旧市街トップへ |
||||||||||||||
ハノイ歴史研究会トップページへ | ||||||||||||||
このページのトップへ |
||||||||||||||
Copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All Rights Reserved |