Nhà
Thờ Phát Diệm ~ 独特の越仏折衷・石造りの教会 ~
ハノイから東南へ120kmのニンビン省にあるファッジェム教会は、東南アジア最大の規模を誇る木造・石造建築です。ベトナムにおけるキリスト教の布教は16世紀中ごろに始まり、カトリックの宣教師によってハノイの東南に広がる紅河デルタの貧しい農民に広がりました。幾度も時の権力者に迫害を受けながらも信仰され続けてきました。現在でもこの地域はカトリック信者の比率が高く、多くの教会が点在します。中でもこのファッジェム教会は池、鐘塔、大聖堂、それを囲むように五つの礼拝堂と三つの岩山で構成されています。設計もすべてベトナム人によって行われたこの教会は、24年(1875~1899)の歳月をかけて造られました。東洋と西洋の建築様式が融合し合い独特な雰囲気を醸し出しています。 <池・広場> 教会の前には、風水思想を取り入れて池が配置され、池の中央には両手を広げすべての人に救いの手をさしのべるキリスト像があります。広場で向かい合っている像は、左側がキリストから「天国の鍵」を授けられたペテロ、右側は福音宣教のしるしである剣を持つパウロです。
広場に面した建物は「鐘塔」です。ベトナム仏教寺院に見られる三関門(三つの入り口)と優美に反り返った瓦屋根が特徴で、ベトナムの村の亭(集会所)をイメージされた建物です。中央に置かれた大きな一枚岩はベトナムの伝統的な椅子兼食卓で、「最後の晩餐」を象徴しています。20トンあるこの岩は、30㎞離れた胡朝(1400~1407)の西都城跡(タインホア省)から運ばれてきたものです。最上階には梵鐘があり、ラテン語と中国語で刻印されています。四隅の塔の頂には袈裟をまとった聖人(マルコ、ルカ、ヨハネ、マタイ)が見守っています。
鐘塔と大聖堂の間には、34年間司祭を務め、この教会の建造に力を注いだチャン・ルック司祭(1825~1899)の墓所があります。
大聖堂は10年の歳月をかけ、1891年に完成しました。1972年、アメリカ軍の攻撃による爆風で屋根を吹き飛ばされる被害にあいましたが修復されています。中央塔の頂には二人の天使が十字架を持ち、その両脇には天使がラッパを吹いています。その下には、神がこの世を裁く日の前の啓示という意味の「審判前兆」の文字があります。入り口の上部の壁面にはキリストと聖母マリアの生涯を15のレリーフに描いています。その下にはたくさんの天使と共にマンコイの花の浮彫が施されています。それぞれの入り口の壁面には聖水を持った天使が彫られています。
内部に入ると、高い天井まで伸びる何本もの柱が壮大です。以前はベトナム産のリム(鉄木)の木だけが使われていましたが、近年の修復では国内だけでは調達できず、ラオスからも取り寄せました。祭壇は仏教寺院のように漆と金箔で覆われ、中央のマリア像のまわりには聖人、上部にはキリストと殉教者が描かれています。
大聖堂の後方には、聖母マリアが1858年に少女の前に出現したとされるフランスの「ルルドの山」、キリストの誕生地である「ベツレヘム」を表した岩山、キリストが処刑された場所を表す「ゴルゴタの丘」があります。ベツレヘムの岩は、沼地だったこの一帯の土壌が、石を多く取り入れた設計にどれくらい耐えうるか調べるために、1875年、教会堂建築前に築かれました。
<石の礼拝堂>
「石の礼拝堂」は、1883年に最初に造られた礼拝堂で、すべてに大理石が使われています。別名「聖母の心臓礼拝堂」とも呼ばれ、正面上部にある聖母マリアの心臓には剣が突き刺されていて、キリストを失った苦しみが表されています。両端の塔はホアンキエム湖のほとりにある玉山祠の入り口に建つ筆の塔を模しています。
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