クアンバー亭 Đình
Quảng Bá
ホアンアン寺から、湖に沿って続くクアンバー通りを行き、クアンバー公園を通り過ぎたところにクアンバー亭があります。この道を更に進むと、セドナスイーツのゲートのある通りに出ます。 ディン(亭)とは村の集会所のことで、村の守護神を祀っています。ここには1000年以上前の英雄、フンフン(Phùng Hưng:馮興)が祀られています。 ベトナムが中国の支配下にあった8世紀、中国(唐)は交州(ベトナム北部)を監督するために安南都護府を置いていました。民衆に重税を課し圧政を行っていた中国(唐)に対し、フンフンは出身地であるドゥォンラム村で反乱軍を組織し、トンビン(Tông Binh:宋平、現ハノイ)に攻め入りました。その勢力があまりに大きかったので、都護であった高正平は、彼らの力を恐れて病にかかって死んでしまったと言われています。 フンフンは、ここクアンバーに拠点を置いて戦い、791年に国土を開放し自治政権を建てましたが、7年後に亡くなりました。跡を継いだ息子は、唐が新たに任命した都護に抗しきれず降伏してしまいました。フンフンの功績は称えられ、「ボーカイダイヴォン(Bố Cái Đại
Vương:布蓋大王)」と呼ばれました。布蓋とは、「父母」という意味で、民衆から父母のごとき大王とあがめられたということです。 クアンバーの地名は「廣布」と書きます。もともとクアンボーと呼ばれていましたが、フンフンが布蓋大王と呼ばれるようになり、ボーの名前が重なるので、バーに変えたといわれています。 ディンの古老の話によると、1000年位前、クアンバー亭はホアンアン寺に近い場所に建てられていましたが、700年ほど前、今のところに移されたということです。1936年に現在の形に建て直されましたが、これも老朽化のため、タンロン遷都990年記念に、1999年~2000年にかけて修復されました。 門をくぐって中に入ってみましょう。中は天井が高く広々としていて、6本の柱で支えられています。建物は大亭と後堂からなる「二」の字形です。 中央祭壇の前には、「龍が南の国をつくり、卵が才能のある英雄を生み、山河に広がり、霊験を顕し、国土を栄えさせた。虎の冠は北の敵を驚かし、人々は偉大な功績を称え、永遠に輝かしきその名を呼ぶ」という意味の、フンフンを称える対連が掲げられています。虎の冠とはフンフンのことです。 後堂は大亭より一段高くなっていて、中央の祭壇にフンフン、左右に3人ずつ文官と武官が祀られています。ここで最も価値のある遺物は、1841年に造られたフンフンの事績を刻んだ石碑です。現在、オリジナルは文化情報省により保管されています。ディンには、2003年に新しく作られた、同様の文字を刻んだ石碑とその内容の解説パネルが置かれています。 大亭の壁には、1962年9月29日にホーチミン主席がここを訪れ、「健康であるためには、清潔な水が必要である」と呼びかけた時の写真が飾られています。門の前の戦没者慰霊碑の建つ広場を挟んで、四角く囲まれた池があります。この池は、近隣の人の飲み水や炊事用として昔使われていたものだそうです。この池のタイ湖側には4本の柱が並んでいることから、かつて池はディンの敷地の中につくられていたものと思われます。 クアンバー亭の祭礼は、毎年旧暦の2月12日と8月10日に行われます。2月のお祭りの時はホアンアン寺へ行き、清浄な雨水をもらって持ち帰り、その水は一年間祭壇に供えるために使われるそうです。
<拝観日> 旧暦1日、15日 <住所> Ngõ
11 Tô Ngọc Vân, Hà Nội |
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