歴史博物館 1階


建物の中に入ると、二階部分まで吹き抜けのエントランスが広がります。一階部分には原始時代から1400年頃までの展示品があります。中でも見所は、コーロア城の出土品や儀式などに用いられた銅鼓(ブロンズドラム)、ベトナム最古といわれる阿弥陀像(ファッティック寺)や石・硝子製の装身具等です。



   
 一階エントランス
撮影:2011年12月2日
文明の十字路、タインホアのダブット(多筆)で発見された東南アジア最古の土器
(新石器時代)
撮影:2012年5月19日


   
 銅鼓(ブロンズドラム) (BC500~AD300)
東南アジア(フィリピンを除く)と南中国に広く分布する銅製の片面太鼓。
儀礼の用具で、富と権力のシンボル。
撮影:2011年12月2日
 



   
ゴックルー(Ngọc Lũ)銅鼓上面図(ヘーゲル I 型)
(BC500~BC400 ハーナム省)
中心に太陽が輝き、ドンソン文化時代の生活が描かれている。
撮影:2012年5月19日
 


 
 トンブイ(Thôn Bùi)銅鼓 (ヘーゲルII型)
(BC100~AD100 タインホア省)
上面にカエルが4匹。
農業国ベトナムで必要不可欠な雨乞いを意味する。
撮影:2009年3月12日



   
コーロア城跡から発掘された青銅の鏃(BC300 ハノイ郊外)
コーロア城は東南アジア最古の城跡。
悪霊の災いで築城が進まなかった際、金の亀(キムクイ kim quy)が出現して悪霊を追い払い、更に金亀の爪で作った弩(いしゆみ:ばねじかけで石や矢を射る大きな弓)を与え、無敵の城となったとの伝説がある。実際に、伝説を彷彿とさせるように、青銅の鏃が大量に発見された。
撮影:2012年5月19日
 



    縦型瓶棺桶(BC300~BC100 クアンナム省)
  中部に興ったサーフイン(
Sa Huỳn)文化の代表的遺物。
  粘土に硅砂(ガラスの原料)が混じっているため、
  土器だが、薄くなめらかで丈夫。
  普通硅砂には鉄が混じり高温でないと溶けないが、
  ベトナムの硅砂は鉄をあまり含まず、低温で粘土と共に溶ける。
 
撮影:2012年5月19日   

 
 

ベトナム最古の石碑
(618年 タインホア省)

右から縦に、「大隋九真群宝安道場之碑文」と書かれています。

九真群とは、中国の支配下にあった当時、タインホアのあたりにおかれた行政区。「道場」とはお寺の意。つまり九真群の宝安寺に建てられた碑。618年は、中国で隋が滅び唐が興った年で、隋の官僚が、唐との戦いで亡くなった一族の供養のために造った。仏教の真理の素晴らしさが記され、仏教の広まりを示すもの。

 
   撮影:2011年12月2日




 
 939年、ゴークエン(呉権)が中国の南漢軍をバックダンザン(白藤江)で、
干潮のとき鉄木を川底に打ち込み、敵軍をおびき寄せて破り、
中国から独立。コーロアに都を定める。
右の大きい船に”漢”、左の小さい船に”呉”の字が見える。
撮影:2009年3月12日




 
ホアルーの都と地形を示した模型。 
呉朝のあとの丁朝、前黎朝はホアルー(現ニンビン省)に都を定めた。
山の谷間に都を築き、川にも囲まれ自然の要害であったが、
冬は寒く、水はけは悪く、気候は厳しい所。
撮影:2009年3月12日




   
 ファッティック寺の阿弥陀如来像(複製)  (1057年 バクニン省)
中国の唐時代の様式を汲む、ベトナム最古の阿弥陀如来像。
撮影:2011年12月2日



 
 ファッティック寺の阿弥陀如来像の台座に施された龍。
李朝期(1010~1225)の龍の特徴をよく表している。
屈曲が多く、角が無く、爪は三つ
撮影:2009年3月12日



   
 ファッティック寺の柱の台座 左の写真の拡大
 
撮影:2011年12月2日 




   
 白藤江戦勝図 (1288年)
蒙古(元)の侵攻にチャンフンダオが白藤江(バクダンザン)で勝利。
川に、リムの木(鉄木)の杭が打たれているのが見える。
 木の杭 (クアンニン省)
 撮影:2011年12月2日



  
 陳朝期の黄白色釉褐彩壺
(13~14C タインホア省)
陳朝(1226~1400)は福建出身者(中国)が建てた王朝。壺には、太腿に入れ墨のある戦士が描かれている。 福建は当時、入れ墨の風習が盛んだった。 
撮影:2012年5月19日 



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