植物園
ホアンホアタム通りの南に位置し、10ヘクタールほどもあるこの植物園は様々な樹木にあふれ、池も配され、地元の人々の憩の場となっています。 ここは、仏領時代初期の1890年、フランス植民地政府によって、地元の住民を立ち退かせて植物園と動物園の両方を兼ねて造られました。当初は33ヘクタールほどもあり、専門家により世界中から種々の樹木が集められ、見学者の目を楽しませるために鳥や動物が飼われていたようです。第二次大戦中、十分に世話をすることができずに多くの動物が死に、残った動物はサイゴンへ移され、植物園だけが残りました。1954年フランスが撤退しハノイが解放されると、植物園は修復、縮小されました。 植物園内の樹木には、見学者にもわかりやすいよう植物名を記したプレートがつけられています。ハノイ市内のほかのエリアに比べても樹高の高い木や、幹の非常に太い、樹齢の古い木が茂っています。花を咲かせるものは春に咲くスアの木や無憂樹などがあります。樹木は、ドライマホガニーをはじめ、ベンジャミンやチークなど種々あります。 二つの池があり、そのうちの一つには餌場が設けられ白い鳩が飛び交う中島があります。白い鳩の他、園内では孔雀やサルも飼育されていて、散歩を楽しむ人々の目を和ませてくれます。数は少ないですが動物が残されているのは、開園当初のスタイルを保ち続けているのでしょう。 園内には小高い丘があり、ヌン山(濃;Nùng)、スア山(Sưa)などと呼ばれています。ヌン山については、次のような伝説があります。昔のハノイにはヌン山と呼ばれる丘があり、その丘の中には気(エネルギー)の塊があると信じられ、ロンドー(龍肚Long Đỗ またはLong Độ)と呼ばれていました。丘の上にはハノイの守護神であるロンドー神を祀る殿があったといいます。伝説のヌン山の場所については諸説あるようですが、現在ヌン山と呼ばれているのは、植物園内のこの丘です。また、昔、丘の上にはリム(鉄木)に匹敵するほど堅い材質のスアの木が沢山あったそうです。現在でもスアの木は丘周辺に残されており、3月には可憐な白い花を咲かせます。丘の上にある神社には、資料によれば現在は、李朝時代の第三代皇帝リー・タイントン(李聖宗;Lý Thánh
Tông 在位1054~1072)を助けて功労のあった人物が祀られています。その人物の誕生日(旧暦1月19日)に、毎年周辺の三つの村(Ngọc Hà, Hữu
Tiệp, Xuân Biểu)の人々が集まり祭りを行っています。その名も「スア山祭り」と呼ばれています。 都会の喧騒を逃れ、樹木や花を楽しむほか、散歩やジョギング、スポーツ、デートコース、花嫁の撮影場所としても人気があります。植物園のベトナム語のBáchとは「百」、Thảoとは「草」の意味で、「多くの植物」と解釈することができます。季節の良い時期に訪れてみてはいかがでしょうか。
<住所> 3 Hoàng Hoa
Thắm
または 2 Ngọc Hà, Hà Nội (入り口は二箇所あります。) |
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