タイー寺 Chùa Thầy ~ 高僧・徐道行を祀る ~
1570年に記された「貝庵寺碑」によれば、貝庵寺の沿革はベトナムの初期独立王朝丁朝(968-980)にまでさかのぼり、きわめて古い時代から地域の信仰の中心であったことがうかがえます。李朝期(1010-1225)に徐道行(?~1116?)が修行し、李朝五代皇帝神宗(在位1128~1138)に生まれ変ったと信じられ、それ以来各王朝の一層の崇敬を集め修築と規模の拡大が繰り返され、現在に至っています。 <天福寺> 主寺院の天福寺は、李仁宗(在位1072~1127)の時代に建てられました。本殿は三つの堂屋が平行した三」字形で、その回りを祖師堂、回廊が囲んでいます。 前方は拝殿(下寺)で、壁には地獄のレリーフや、白馬、馨があります。中央は仏殿・中殿(中寺)で、真中にひな壇式に、三世仏(過去仏、現在仏、未来仏)、釈迦誕生仏、苦行仏(雪山像)などが配置されています。まず度肝をぬかれるのが、両側にある高さ4メートルの護法の坐像と、八大金剛の立像です。ハノイ市内の社寺では見られない迫力で、観る者を圧倒します。
後方は上殿(上寺)です。中央に金色の冠をかぶり、黄色の衣をまとった徐道行の座像が蓮の台座にあり、その後ろには
蓮の花、龍、とりわけチャム彫刻の深い影響を示すガルーダを刻んだ石の方形の台座(陳朝期1225~1413)があります。さらに奥に仏像が配置されています。仏像を背にして左側には、黄色の衣で覆われた玉座があり、普段は前に飾られた写真でしか見られない徐道行の白檀の像が奥の厨子に安置されています。この像は水上人形劇の人形のように関節が曲がるように作られています。右側には徐道行の生まれ変わりと信じられている神宗の像と、その前には二体の随身の像があります。
本殿の背後の建物は鐘楼と祖師堂で、達磨、徐道行、高僧、聖母道の聖母などの像があり、両側の回廊には18体の阿羅漢が祀られています。
<龍の池> 寺の前には龍の池が広がり、池の中に設けられた水亭では、旧暦3月5,6,7,8日の祭りのときに水上人形劇が催されます。伝説では、徐道行が民衆の娯楽のために水上人形劇を創設したと言われています。池の左右には、三府殿のある日天橋とサイ山の登山口に通じる月天橋という屋根のある橋がかかっており、水亭とともに寺に何とも言えない趣を与えています。
<サイ山>
月天橋を渡ると、サイ山に登る入口があります。10分ほど険しい自然石の階段をのぼると、頂山寺に着きます。そこには、徐道行が神宗に生まれ変わるため遷化したと言われる聖化洞や、こぶりですが仏像や聖母を祀ったいくつかの美しいお堂が、岩山の地形そのままに肩を寄せ合うように建っています。さらに険しい山道を頂上まで登ると、視界が開けこの地方独特の石灰岩と緑の木々で覆われた奇峰群と水田が広がる景観が望めます。連なる丘陵には多くの洞窟があり、そこでホーチミンが抗仏戦争中、共産党の集会を開き、サイ山の寺々を隠れ家にしたと言われています。 このように、タイー寺はベトナムの貴重な歴史と革命の遺産であり、有名な景勝の地でもあります。ハノイから西に延びるタンロン大路(Đại Lộ Thăng Long)を車で30分程行くと、右手に「Chua Thay」と書いた標識があり、そこを右に曲がり道なりに進むと到着します。 参考資料: 第13回ハノイ歴史研究会史跡めぐり資料 大西和彦 大きな地図で見る |
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