ベトナムの旧正月テト

年神の送迎
Lễ cúng giao thừa


 
 年神様送迎の祭壇
大晦日の夜、11時頃から家の前に祭壇が準備される。
後ろ: 年神様の位牌、年神様の冠と靴、馬
手前: 仏手柑と5種の果物(リンゴ、ミルクフルーツ(Vú Sữa)、みかん、マンゴ、ビンロウジュの実)、
水、お酒、(水とお酒の後ろに鶏一羽)、
オアン(Oản)と呼ばれるもち米で作った供物用菓子(ピンク色のセロファンでラップされている。)、
ガック(Gấc)のおこわ(オレンジ色)など
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日(旧暦2012年の大晦日)

1230日(大晦日)の夜に、新旧の年神様が交替する儀式が行われます。新旧の年神様の位牌、紙の冠と靴、ゆでた鶏(若い雄鶏)、おこわ(xôi gấc)をテーブルの上にのせ、家の前に出します。これは、行譴(こうけん) Hành Khiểnと呼ばれる年神を送迎する祭壇です。年があけるとすぐに冠などは燃やします。

「行譴(こうけん)」は、昔のベトナムの王朝の宦官に与えられた役職名「行遣(こうけん)」がもとになっています。しかし18世紀頃までに、「災い」や「責める」の意味をもつ「譴」の字があてられ、疫病神の性格を持つようになりました。(ごんべんのない「遣」からごんべんのある「譴」に変わった。) 天災や戦乱が起きるのは、罪のある人々を年神が罰しているのだという考えからです。年神は干支に合わせて全部で12柱あり、中国春秋戦国時代の国名がつけられていますが、疫病神としての別名も持っています。たとえば、子年は「周王行譴」のほかに「天瘟行兵之神」という別名があります。「瘟」は伝染病を意味し、新しい年は疫病がおこらないように願って年神の儀礼を行ったそうです。(各干支に対応する行譴名は下表参照ください。)


   
「当年呉王行譴至徳尊神」と記された位牌。
新しい年、2013年は巳年で、「呉王行譴」という名の神をお迎えする。
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日(旧暦2012年の大晦日)
 


   
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日
(旧暦2012年の大晦日)
 
後ろ:塩と米、お酒、鶏一羽
手前:果物、お金(ベトナムドンではなくドルが使われる。)、タバコなど
 


   
新旧両方の年神様の冠が置かれている。
鶏の口には赤い(幸運の色)バラの花が一本。右はガックのおこわとバインチュン
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日
(旧暦2012年の大晦日)
 
このような店先にテーブルを出す。
場所:ハンボン通り、ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日
(旧暦2012年の大晦日)
 


   
 お供えのテーブルの前で、祈祷文を読む女性
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月9日(旧暦2012年の大晦日)
 


   
 新年を迎えると、年神様の冠と靴を燃やす。
燃やした後の灰には、お酒をふりかける。
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月10日(旧暦2013年の元旦)
花火見物帰りの人々で混雑する中、
路上で冠を燃やす女性。
場所:ハノイ旧市街
撮影:2013年2月10日(旧暦2013年の元旦)
 



これは中国でももう残っていない習慣で、現在は台湾南部でのみ見られ、ベトナム中部・南部では簡略化されて行われているそうです。



十二支 行譴名 行譴の別名 判官名
子年 周王行譴 天瘟行兵之神 李曹判官
丑年  趙王行譴 三十六傷行兵之神 曲曹判官
寅年 魏王行譴 木精行兵之神 粛曹判官
卯年 鄭王行譴 石精行兵之神 柳曹判官
辰年 楚王行譴 火精行兵之神 表曹判官
巳年 呉王行譴 天耗行兵之神 許曹判官
午年 秦王行譴 大耗行兵之神 土曹判官
未年 宋王行譴 五盗行兵之神 林曹判官
申年 斉王行譴 五廟行兵之神 宋曹判官
酉年 魯王行譴 五岳行兵之神 巨曹判官
戌年 越王行譴 天覇行兵之神 城曹判官
亥年 劉王行譴 五瘟行兵之神 阮曹判官




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