タンロン遺跡発掘現場
Khu Khảo Cổ 18 Hoàng Diệu

 
 2010年10月遷都千年祭で公開中に撮影
撮影:2010年10月3日

タンロン城遺跡は2002年夏、国会議事堂(バーディン会堂)の立て替え工事の際、7~19世紀にわたる多数の建築遺構が折り重なって発見されました。中国支配時代のダイラ城(7~9世紀)、独立後のタンロン城(1018世紀)、ハノイ城(19世紀)の遺跡が含まれると考えられています。一般に、後の時代に同じ場所に建物が建てられた場合、前の時代の建築物は破壊されて残っていないことが多いですが、この遺跡の場合は良く残っているとのことです。2004年には、調査研究や保存のためベトナム社会科学院が日本から考古学や建築史学の専門家をハノイに招き、同年10月ハノイでの国際会議に出席した小泉純一郎首相(当時)がタンロン城遺跡を視察し、日本政府として調査研究保存に協力することを約束しました。中国支配時代、ハノイには安南都護府が置かれ、8世紀には遣唐使・阿倍仲麻呂が派遣されたため、日本人も関心を寄せる遺跡です。

 ハス型で龍の彫刻を施した石製礎石、小石を集めた礎石、石板製の排水路、漢~唐代(BC.3AD.10)の石組の井戸、唐代に遡れる可能性のある木柱、「江西軍」などの刻印がある大量の敷き磚(かわら)、龍・鳳凰の素焼き装飾品、鞍型龍などが染め付けられた陶磁器、大量の中国銅銭、子供などの人骨などが出土されました。

<住所> 18 Hoàng Diệu, Hà Nội



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