チャン・フン・ダオ

Trần Hưng Đạo  陳興道

 
(? ~ 1300

~元寇から国を守った英雄~

 
そびえ立つデンキェップバックの三関門 (チャンフンダオを祀る)
撮影:2004年10月9日



<デンキェップバック(劫泊祠)

ハノイから1号線を北上し、バクニンで18号線に入り東へ向かい、ファーライの橋を渡るとハイズゥォン省に入ります。省ざかいのトゥォン川の近くに、チャン・フン・ダオを祀った神社、デンキェップバックがあります。チャン・フン・ダオは13世紀、モンゴル・元の侵略を撃退したベトナムの英雄です。本名をチャン・クオック・トアン(陳国峻)といい、陳朝初代皇帝太宗の兄の子としてクアンニン省で生まれました。そして皇帝太宗の娘を妻としました。

デンキェップバックがある地は、昔はヴァンキェップ(万劫)といい、チャン・フン・ダオの邸宅があった場所です。神社はデンヴァンキェップとも呼ばれます。「万劫」には、多くの困難な事という意味があります。ここはドゥオン川、カウ川、トゥォン川、ルックナム川、キンタイ川、タイビン川の6つの川の合流地点で、ここを押さえれば水上から四方へ行くことが出来るため、昔から交通、軍事の要所でした。チャン・フン・ダオはここに造船所などの軍事基地を築き、外敵の侵入に備えました。


 <バックダンザン(白藤江)の戦い>

13世紀後半、モンゴル・元が攻めてきた際陳朝は、兵法に傑出した才能を持つチャン・フン・ダオ将軍を総指揮官として抗戦しました。彼は三度のモンゴル・元の侵攻を退けましたが、最も有名な勝利がバックダンザン(白藤江)の戦いです。バックダンザンは、ハイフォン市の北側にある入り江です。元軍の第三回めのベトナム侵攻(12871288)の際、戦況が不利となった元軍は、軍事拠点があったヴァンキェップからバックダンザンを通って海路脱出をはかろうとしました。そのときチャン・フン・ダオは、汐の干満を利用した戦法で元軍を迎え撃ちました。その戦法とは、バックダンザンの支流のチャイン川で、干潮時に予めリムの木(鉄木)の杭を川底に打ちこみ、草をかけてわからないようにし、満潮をみはからって敵をおびき出し、敵船が杭で動けなくなったところを小型の船で攻めるという方法でした。ここは昔から中国から紅河デルタの中心に入る主な水路の一つで、この戦法は先人にならったものでした。元軍は大敗、ベトナム征服は失敗に終わりました。


<神格化>

その後彼は皇帝からフン・ダオ・ヴゥォン(興道王)またはフン・ダオ・ダイ・ヴゥォン(興道大王)の称号を授けられたため、一般にはチャン・フン・ダオと呼ばれました。そして1300820日この地で没しました。チャン・フン・ダオは、早くから救国の神として人々の信仰の対象になっていたようです。また彼が残した檄(兵士への呼びかけの言葉)は、後の抗仏、ベトナム戦争の際にも人々を奮い立たせました。

一方チャン・フン・ダオは、不妊や難産などで女性を苦しめる悪霊、范顔(ファンニャン)を退治する神としても信仰されています。范顔は、チャン・フン・ダオによって処刑された元軍の先導者で、女性に祟る悪霊になったと考えられているからです。 

 
 ドンホー版画のチャンフンダオ

デンキェップバックは、山と川に囲まれた風光明媚な広々とした土地に建てられています。神社の入り口にそびえる大きな門は、彼が偉大なベトナムの英雄であることを物語っています。この神社にはチャン・フン・ダオの他、妻、彼とともに戦った将軍ファム・グー・ラオ(范五老)も祀られています。命日の旧暦820日頃には盛大な祭りが催され、多くの人々が訪れます。ベトナムでは彼を国父と慕い、「8月は父の命日」といわれています。


デンキェップバック所在地:
  ハイズゥォン省チーリン県フンダオ村(ハノイから車で約2時間)



参考資料:第17回ハノイ歴史研究会史跡めぐり資料 大西和彦 2004






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