バー・チェウ

Bà Triệu

(3世紀中頃)

~現代に名を残す古えの女傑~


 
 ドンホー版画のバーチェウ

バー・チェウのバーは女性の敬称で、氏をチェウと言います。
ハイバーチュンの時代から時を駆けること200年後の、西暦248年、時の中国(呉)の支配から何とか逃れ出ようと立ち上がった若き女性がいました。名はチェウ・ティ・チン(趙氏貞)と言い、九真(現在のタインホア省)に生まれ早くに両親を亡くしましたが、民族独立を願う兄の下、逞しく成長しました。その兄がいよいよ九真郡庁に独立の兵を挙げた時、かねてから戦いの準備をしていたバー・チェウが合流し、仲間と共に呉軍を次々に破っていきました。呉軍は、彼女を麗海婆王と呼んで恐れたといいます。しかし、九真の反乱もここまでで、同年、交州刺吏に任ぜられた呉の陸胤(ルックザン)が乱の平定に乗り出し、半年にも及ぶ戦いの後、23歳の命を戦場において自ら絶つことになったのです。

 ベトナムにおいて女性が強いとはよく言われるところですが、太古の昔からの民族自立運動の陰にある女傑達の心意気が、現代にも受け継がれているであろうことは疑うすべもありません。

 生地のタインホアには、バー・チェウを祀る神社があります。

 参考資料: 『ベトナム人と日本人』穴吹允著 1995
        『ベトナム民族小史』 松本信広著 1993


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