オペラハウス側面 

胡朝城
Thành Nhà Hồ

 
撮影:2011年12月14日 


ハノイの南、タインホア(Thanh Hoá)ののどかな田園風景のなかに、忽然と立っている大きな石造りの城壁があります。約600年前の胡朝時代(1400~1407)の都城、胡朝城(タイン・ニャーホー)です。
 胡朝は、長年続いた陳朝末期の武将、ホー・クイ・リー(Hồ Quý Ly)が自分の娘を皇后にして実権を握り、陳朝を乗っ取るような形で開かれた王朝で、この地に都がおかれていました。

 胡朝城は中部ベトナムの最も北に位置します。東と北をタムディエップ山脈(Dãy NúiTam Điệp)、西はチュオンソン山脈(Dãy Núi Trường Sơn)に囲まれ、南にはマー河(Sông Mã)が流れています。タムディエップ山脈を越えてハノイへ通じる「上道」の登り口や、黎朝運河(983年開削、南方のチャンパ遠征用の大運河)の起点にも近い、交通の要衝でした。

 周辺には、旧石器時代や、紀元前のドンソン文化の遺跡も発見されています。異民族との交流も盛んで、文明の十字路ともいえる場所でした。
 繰り返された中国との戦争では、このあたりが最終防衛ラインとなり、紅河デルタが中国の手に落ちてもここで耐え、やがて炎暑の時期になって彼らが引き上げるのを、ひたすら待っていたそうです。
 タインホアは、ホー・クイ・リーの出身地でもあります。また、陳朝時代には、首都を攻略されたときのダメージ分散のために、副都をあちこちに設けていました。このため首都タンロン(ハノイ)にはあまり重きが置かれていなかったことも、短期間での遷都を可能にしたようです。

 城壁は、東西877m×南北880mのほぼ正方形で、それぞれの辺の中央に城門があります。風水上、南北軸を約30度ずらしてあります。
 南門が最も大きく、重厚な石組みのトンネルが3つ、口を開けています。脇にある階段から城壁に上がると、南西の方角に銅鼓山と呼ばれる聖地を望むことができます。黎朝運河の起点にある銅鼓山には、銅鼓をご神体とする神社があり、守り神として歴代の皇帝の信頼が厚く、ハノイ市内にも分霊されています。(銅鼓霊祠 Đền Đồng Cổ 353 Thụy Khuê


胡朝城城壁から、聖地・銅鼓山をのぞむ。撮影:2011年12月14日


胡朝城見取り図 撮影:2011年12月14日

       
①資料館
②南門
⑤東門
⑧北門
⑪西門
⑯龍の彫り物
   




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