オペラハウス
オペラハウスでは、現在ベトナム国立交響楽団を初め、内外の演奏家が頻繁にコンサートを行っています。 オペラハウスは、重要な歴史の証人でもあります。正面の広場は“八月革命広場(Quảng Trường Cách Mạng Tháng Tám)”と呼ばれます。八月革命とは、第二次大戦終結後の1945年8月後半、ベトナムを統治していた日本の降伏を機に、ベトナムの独立を目指してインドシナ共産党がおこした革命のことです。8月19日にこの広場で蜂起を呼び掛ける集会が行われ、その後、9月2日の独立へとつながります。この広場に何千もの人々が集まり、ホーチミンは2階のバルコニーから演説したと言われています。建物正面に、集会が行われたことを記したプレートがあります。また、バーディン会堂が造られるまではここで国会が開かれるなど、その後の政治の舞台でもありました。1950年代以降戦争などのためオペラハウスは寂れ、90年代に入ってから修復され、1997年にハノイで行われた第七回フランス語圏サミットにあわせて、再開されたようです。
<建物外観> さて、ホアンキエム湖の方からチャンティエン通りを歩くと、通りの先にオペラハウスが見えてきます。白と黄色に彩られた正面は、イオニア式(渦巻き装飾の柱頭)とドーリア式(中央部分が膨らんでいる)を採用した柱が、荘重さと優美さを与えています。軒下の壁には可憐な花模様の装飾が、また上には小窓のあるドーム屋根が見られます。側面に回ると、荷物の搬入や馬車寄せとして使われた入口があり、当時の様子が偲ばれます。そして屋根の上には、翼のある獅子像が見えてきます。正面だけでなく側面も見ると、建物の奥ゆきの深さ、美しさがより感じられます。
中に入ると、ロビーの中央階段には深紅の絨毯が敷かれ、床の大理石とのコントラストが印象的です。コンサートホールにはシャンデリアが下がり、天井はさわやかな水色を基調としています。また、舞台の上部中央にあるのはガリア人(フランス人の祖先)の頭部像です。座席数は、現在約600あります。
植民地時代は多くのベトナムにとって厳しい時代でしたが、フランス文化はベトナム文化の一部となり、オペラハウスは、その一つの大きな遺産です。コンサートを聴きに行く時以外は中に入ることはできませんが、是非、音楽と共に建物も鑑賞し、歴史にも想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考資料: 『歩こうハノイ④ フランス租界地を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2004 |
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