西湖府
Phủ Tây Hồ ~ 聖母道の聖地 ~
ベトナムの民間信仰「聖母道」の女神「柳杏聖母」を祀る神社で、ホータイ(西湖)東北湖畔から湖中につきだした半島の先端に位置します。「府」とは、柳杏聖母を祀る大規模な神社の呼び名です。ここは聖母信仰の三大聖地のうちの一つです。 <歴史> 伝説では、後黎朝期に、戸部尚書などを歴任した文人官僚の馮克寛(1523~1613)が友二人と船に乗り西湖で遊んでいた。その時、魚をとる小舟を操る娘に出会い、詩の連吟を楽しんだが、連吟が終わるや娘は霧の中に消えていった。陸に上がった三人の前に、一陣の風が以下の七言絶句を記した紅紙を運んできた。 「雲を衣装となし、風を車とす。朝に兜率に遊び、暮れては烟霞に帰る。 世人、わが名姓を識らんと欲せんか。一大山人、玉瓊華。」 末句の「山」と「人」を組み合わせると「仙」となり、「大仙瓊華聖母」つまり柳杏聖母の意味となる。聖母とめぐりあったことを悟った馮克寛は、これを記念して西湖府を建てたという。また後黎朝期の朝廷が霊験あらたかな柳杏聖母を都に勧請したのが起源ともいう。時に1598~1607年の間に建立されたと考えられている。1947年にフランス軍に焼かれたが、1952~57年に修復された。更に1991年に、またその後も改築されている。 第回16回史跡めぐり資料(大西和彦)より <参道>
西湖名物のエビを揚げた料理“バイントム”やタニシを売る店などが連なる道を進むと、楼門“西湖鐘閣”が見えてきます。門をくぐり、湖沿いの参道には供物などを売る店が続きます。“Viết sớ chữ nho”の看板を掲げた店は、神への嘆願書を漢文で書いてくれるところです。嘆願書を祭壇に供えたあと燃やすと、その煙が天の神様に願い事を届けてくれると信じられています。その先には、供物を用意するためのテーブルが置かれた場所があります。人々はここでお盆に花や菓子、果物などの供物を乗せ、線香もさして持って行きます。
“西湖顕跡”と書かれた建物が正府で、お寺で言えば本堂にあたる建物です。正府に入ってすぐ前にある祭壇には、奥から、道教の最高神である玉皇上帝、その両側に生を司る南曹と死を司る北斗、聖母道の眷属神である五位大官、十人の皇子のうちの第七皇子(青い帽子)と第十皇子(黄色い帽子)が祀られています。
<山荘洞> 正府の右側に、上岸聖母(山岳の女神)を祀る「山荘洞」があります。上岸聖母の住む山林を見立て、まさに岩山の洞窟のような祭壇が設えてあります。18世紀に山地へ移植したキン族と山岳民族の接触や、商業の発展から創造された聖母道の最も新しい女神です。商売繁盛を祈念する財神として信仰され、柳杏聖母とともに人々の信仰を集めています。
<炉> 供え物はまず正府の祭壇に供え、山荘洞など全てのお参りを済ませたあと、嘆願書や紙のお金をここで燃やします。菓子類などは持ち帰ります。
正府の前に、二つの小さな祠があります。正府に向かって左は「姑」と呼ばれる若死にした女性、右は「舅」と呼ばれる若死にした男性の霊を祀る祠です。
以前は・・・
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハノイ歴史研究会トップページへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
このページのトップへ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All Rights Reserved |