聖母道
Thánh
Mẫu Đạo 聖母道は、中国から伝わった道教と、万物に霊魂の存在を認めるアニミズムに基づいた、19世紀頃発展したベトナム独自の信仰です。聖母道の神々は府という世界に住み、府を統括するのが玉皇上帝です。府には、天・地・水の三府があります。これは中国の道教神である天官・地官・水官の思想がベトナムで受容され拡大したものです。さらに三という数字を好まないベトナムで山岳・高原・森林を象徴する岳府が加わり、四府として信仰されています。四府を支配するのは聖母または公主と呼ばれる女神で、それぞれ柳杏聖母または上天聖母(天を司る)・地仙聖母(地を司る)・水宮聖母(水を司る)・上岸聖母(山岳を司る)といいます。その下に、五位大官・四位朝婆・十位皇子・舅・姑・五虎神官・白蛇神などの眷属(配下)が連なります。レンドンというシャーマニズムの儀式によって、これらの神々が霊媒に乗り移り、予言や舞踏などを行います。この儀式は社会主義政権下において長く禁止されていましたが、現在ではしばしば行われており、伝統文化の一つとして考えられ始めています。 柳杏聖母
上天聖母、地仙聖母の化身といわれる女神。聖母の中で実在の人物とされ、名を黎氏勝または陳氏勝といい、字は降仙という。後に柳杏または瓊華と呼ばれる。1557年(後黎朝14代皇帝英宗の天祐1年)に、山南鎮天本県雲葛社(現ナムディン省ヴバン県バンカット社)に生まれたが、実は玉皇上帝の娘で、誤って父の玉杯または玉剣を壊した罪で、人間界に生まれ変わった謫仙と伝えられる。美貌で笛の名手であったが、21歳の時に忽然と亡くなった。これもまた仙界に一時里帰りしただけであって、玉皇上帝はまだ許さず、再び清化鎮石城県甫葛社(現タインホア省ビムソン市)の崇山に降臨した。この時聖母の性格はきわめて厳しくなり、軽んじる者には重い神罰を下した。そのために時の朝廷は聖母を邪神とみなし、占術師の集団である内道の術者を派遣し、対決させた。聖母は術くらべに負けて、無限の穴に落とされようとしたところを仏に救われ、以後、仏道の守護神となったという。ナムディン省バンカット社とタインホア省ビムソン市および西湖府は、聖母信仰の三大聖地として、聖母の命日の旧暦3月3日前後は多数の参拝客が訪れる。 上岸聖母
山岳・森林を司る女神で緑の衣をまとっている。四府のその他の聖母と共に祀られるほかに、上岸聖母を祀る祭壇を別に設けるところが多い。その祭壇は山荘(sơn trang)と呼ばれ、上岸聖母に加えて12または24の姑(若死にした女の子の霊)を祀る。人々の上岸聖母に対する特別な信仰の表われである。 道教の最高神である玉皇上帝、柳杏聖母の父とされる。 部下の北斗と南曹が左右に祀られる。
「十位皇子」は元々、中国の洞庭湖に棲む水神の子とされていたが、ベトナムでは、各地の名士や名将をそれぞれの皇子になぞらえている。十人のうち、第七と第十皇子を祀るところが多い。第7皇子(青色の衣)は、ラオカイを司っていた官僚、第10皇子(黄色の衣)はゲアン地方出身の後レー(黎)朝時代の文官とされている。ラオカイは中国国境に近い北方、ゲアン地方はベトナムが最初に支配していた地域の南方に位置し、それぞれ他からの侵略に備えた地で、その地方を防衛すると信じられている。
「姑」と呼ばれるのは子孫を残さずに若死にした女の子、「舅」は若死にした男の子の神霊。ベトナムでは若死にした祖先を、彼らが一族を守ってくれると考える一方、崇りを畏れ、特別に尊重し信仰する習慣がある。
虎は山の神とされ、五虎神官とは聖母道の四府の世界を護る五匹の虎を意味し、聖母道の祭壇の下に祀られる。五匹の虎を描いたハンチョン版画や絵が置かれている場合もある。五色の虎は、古代中国で生まれた「万物は木、金、火、水、土の五つから成る」という「五行説」と、宇宙は東西南北と中央の五つの方向から成るという考えに基づき、次のような意味がある。 緑/青は「木」を意味し、東を司る。 版画では、虎の上に太陽と北斗七星が、左右には五本の剣と五色の旗が描かれている。太陽は農業にとって重要な信仰の対象であり、北斗七星は道教で死を司る神である。
Ông Lótと呼ばれ、海の世界の神として祀られる。
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