オペラハウス側面 

ソフィテルメトロポールホテル
khách Sạn Sofitel Metropole

 
 クリスマスの飾りつけが施されたホテル
ゴークエン通り側(旧館)
撮影:2011年12月4日

フランス植民地時代の1901年に創業した格式高いホテル。設計者不明。デュムーティエ(Dumoutier)が所有していた土地にデュシャン(Ducamp)という資産家が50万フランを提供し、もともとはただの湿地であったこの場所にインドシナ最大のホテルが誕生しました。彼らは、このホテルをシンガポールのラッフルズホテルのようにしたいと考えていました。当時はグランド・ホテル・メトロポール・パレスと言い、ハノイの社交場であり、外国人にとっては、ベトナムの喧騒を忘れる憩いの場でした。1916年、インドシナで最初に映画が上映され、1940年代には、エレベーター、電話などの最新設備がそろっていました。作家や画家といった芸術家が常宿とし、その中には、映画化もされた『クワイエット・アメリカン』の著者グレアム・グリーンがいました。現在もスイートルームに彼の名は、使われています。その他にもハネムーンで滞在したチャップリンや『月と六ペンス』で知られるイギリスの作家モームなどの著名人たちもいました。
 1954年、ベトナムがフランスから解放された後は国営となり、名前も「トンニャット(統一)ホテル」となります。

 ベトナム戦争中は、アメリカの女優ジェーン・フォンダが反戦運動の為、2ヶ月程滞在しました。当時(1970年代)のホテルは、各国の大使館が一つ屋根の下に集まり、さながら国連施設のようでした。日本大使館も例外ではなく、一時期(1973年から)入居していました。

 1962年にゴー・クエン通り沿いの4階部分を増築。1992年、再びフランス資本によって合弁ホテルとして生まれ変わり、1996年には、近くのオペラハウスにちなんでオペラウィング(新館)が増築されました。

 正面入口から続く階段は100年前のオリジナルのもので上部に目を向けると、吹き抜けになっていて、木の手すりや明り取りの窓などがあり、当時をしのぶことができます。コロニアル風の外観、細かいころにまで凝った内装など、度重なる改築にもかかわらず伝統と格調にあふれています。

   
 ロビーの吹き抜け
撮影:2012年2月25日
1901年の文字
撮影:2011年12月4日 

 
 植民地時代のホテルの外観 『SOFITEL METROPOLE HOTEL』より


 ホテル名は2009年に、「ソフィテルメトロポ-ルハノイ」から「ソフィテルレジェンドメトロポールハノイ」に改名されました。

プールがある中庭の地下に、ベトナム戦争中(1964~1975)、宿泊客を空襲から守るために使われた防空壕があります。宿泊客であった歌手ジョーン・バエズや俳優ジェーン・フォンダもここに避難したことがあったといいます。戦争終結後防空壕は閉鎖されていましたが、2011年夏、バンブーバー(Bamboo Bar)改築の際、ホテルのスタッフにより偶然に再発見され、20125月から宿泊客に限って公開されています。

 
メトロポール防空壕
バンブーバーとプールの間に入り口がある。
撮影:2012年8月16日
 


 
 クリスマスの時期、レー・フン・ヒエウ通り側に作られる”お菓子の家”。
サンタさんと写真を撮る子供達や若者で賑わう。
撮影:2012年12月19日





<住所>  15
Ngô Quyền, Hà Nội

参考資料: 『歩こうハノイ④ フランス租界地を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2004 


ハノイ歴史研究会トップページへ                  このページのトップへ

copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All rights reserved 



inserted by FC2 system