ソフィテルメトロポールホテル
フランス植民地時代の1901年に創業した格式高いホテル。設計者不明。デュムーティエ(Dumoutier)が所有していた土地にデュシャン(Ducamp)という資産家が50万フランを提供し、もともとはただの湿地であったこの場所にインドシナ最大のホテルが誕生しました。彼らは、このホテルをシンガポールのラッフルズホテルのようにしたいと考えていました。当時はグランド・ホテル・メトロポール・パレスと言い、ハノイの社交場であり、外国人にとっては、ベトナムの喧騒を忘れる憩いの場でした。1916年、インドシナで最初に映画が上映され、1940年代には、エレベーター、電話などの最新設備がそろっていました。作家や画家といった芸術家が常宿とし、その中には、映画化もされた『クワイエット・アメリカン』の著者グレアム・グリーンがいました。現在もスイートルームに彼の名は、使われています。その他にもハネムーンで滞在したチャップリンや『月と六ペンス』で知られるイギリスの作家モームなどの著名人たちもいました。
プールがある中庭の地下に、ベトナム戦争中(1964~1975)、宿泊客を空襲から守るために使われた防空壕があります。宿泊客であった歌手ジョーン・バエズや俳優ジェーン・フォンダもここに避難したことがあったといいます。戦争終結後防空壕は閉鎖されていましたが、2011年夏、バンブーバー(Bamboo Bar)改築の際、ホテルのスタッフにより偶然に再発見され、2012年5月から宿泊客に限って公開されています。
参考資料: 『歩こうハノイ④ フランス租界地を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2004 |
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