タイーフオン(西方)寺
Chùa Tây Phương
~ 18世紀の羅漢像の傑作を祀る ~
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この山門をくぐり、階段を登っていく。
撮影:2012年10月11日 |
<所在地>
正式名称は崇福寺(Sùng Phúc Tự)といい、ハノイの南西のタイーフオン山(旧名カウラウ(Câu Lậu 句漏)山)と呼ばれる丘陵にあります。カウラウ山は、ベトナムが中国に支配されていた、漢から隋の時代(BC111~AD618)にあった”句漏県”の場所であると言われています。中国の神仙思想を体系化した葛洪(283~343頃)は、仙薬を作るためにこの地へ赴こうとしたと伝えられています。ここは、紅河の支流ダイー川(Sông Đáy)と、同じく紅河の支流であるコン川(Sông Con)に挟まれた地域で、これらの河川は、紅河デルタを縦断して南方地域へ流れる幹線水路でした。またこの地は紅河本流とも近く、中国雲南地方や紅河デルタ東部(現在のハイズォン省方面)とを結ぶ河川交通の要衝でした。句漏県が、仙薬の原料であった丹砂や金、真珠などの南海の産物を得るのに便利な場所であったと考えられます。
<建立年代>
風水書『高王藁(こうおうこう)』によると、唐代に安南都護の高駢(?~863)が、句漏山に王気のある龍穴があり、安南に独立の気運があるのを予知し、それを鎮圧するために仏教寺院を建立したと伝えています。しかしタイーフオン寺の建立年代を伝える確実な史料は現在のところ発見されていません。
後黎朝・神宗皇帝の時代の1632年に大規模な修築が行われたことが「西方山崇福寺碑」に記されているため、建立年代は1630年以前に遡ると考えられます。
<仏像・伽藍>
後黎朝の永祐年間(1735~1740)に、現在も残る多くの仏像が造られました。後黎朝後期(1533~1789)に、タイーフオン寺は、紅河デルタ西部の浄土宗の中心として役割を果たしていました。西山朝期1794年の修築で、ハノイ市のキムリエン(Kim Liên 金蓮)寺と同様の建築様式が採られました。羅漢像や釈迦苦行象(雪山)、弥勒象、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来・観世音菩薩・大勢至菩薩)、金剛像などは、この時期に造られたとみられます。伽藍は、拝堂・正殿・後堂が三字形に配置されています。かつてはその周囲を回廊が取り囲んだ「内工外口」型でした。
タイーフオン寺の羅漢像はベトナム仏教芸術の最も優秀な作品群のひとつと言われ、最近の研究によると、中国明時代に王圻(おうき)が編纂した絵入りの百科辞典『三才図絵』(三才とは、天地人を意味する)を元絵にした像であることがわかっています。
参考資料: ハノイ歴史研究会第12回史跡めぐり 2001年12月7日 大西和彦
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239段の階段
撮影:2012年10月11日 |
階段を登りきった所の三関門
撮影:2012年10月11日 |
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伽藍は、拝堂・正殿・後堂が三の字に配置され、壁には 「色(しき)」と「空(くう)」を表した円形窓が設けられている。
屋根は二層で先端は鋭く反りあがる。
撮影:2014年7月27日 |
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破風には龍の顔
撮影:2012年10月11日 |
屋根・軒先には、龍やゲー(Nghê 猊)
ベトナムのゲーとは、狛犬のようなもの
撮影:2012年10月11日 |
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撮影:2012年10月11日 |
撮影:2014年7月27日 |
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釈迦苦行象
撮影:2012年10月11日 |
釈迦苦行象や弥勒菩薩を祀る
撮影:2012年10月11日 |
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祇陀太子(祇園精舎建設のために土地を寄進した)の像
撮影:2012年10月11日 |
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金剛像
撮影:2012年10月11日 |
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三世仏(後段)、地獄の十王(手前)
撮影:2012年10月11日 |
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十六羅漢
仏陀難堤尊者
撮影:2012年10月11日 |
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人間味あふれる様々な表情を見せる十六羅漢
撮影:2012年10月11日 |
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所在地:ハノイ市タックタット県タックサー社イエン村
thôn Yên, xã Thạch Xá, huyện Thạch Thất, thành phố Hà Nội
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