ブッタップ(筆塔)寺 この寺は正式名を寧福寺(Ninh Phúc Tự)といいますが、グエン朝の第四代皇帝嗣徳帝(在位1848~1883)が行幸した際、本堂の東側にある「報厳塔」と呼ばれる墓塔の先が筆のように見えたことから、筆塔寺と呼ばれるようになりました。大規模で完成度の高い寺院構造や、仏教美術の傑作と言われる千手千眼観音、また住職の拙拙禅師(Thiền Sư Chuyết Chuyết (せつせつぜんじ) 1590~1644 中国福建省出身)が北部仏教界を再興し17,8世紀にその中心地となったことにより、ベトナムの名刹とされています。 創建は13世紀、陳朝(1225~1400)初期と伝えられていますが、長い間荒れ果てたままになった後の1646年、時の権力者である鄭壮によって大規模な修復拡張が行われました。これは、鄭壮の娘であり皇帝黎神宗(レー・タントン Lê Thần Tông)の妃である鄭氏玉竹(チン・ティ・ゴック・チュック Trịnh Thị Ngọc Trúc)が、ブッタップ寺の住職・拙拙禅師に師事して出家し、寺の再建を要請したためでした。 伽藍は、入り口から奥へ、三関門、鐘閣、前堂、焼香、上殿、石橋、積善庵、中庭、中堂、祠府、後堂の順に配置されており、その奥行は150mに及びます。 三関門、鐘閣、前堂、焼香 上殿 (千手千眼観音像)、石橋 積善庵 (回転祈祷台) 祠府 (チン・ティ・ゴック・チュックの像)、後堂、報厳塔
所在地:バクニン省トゥアンタイ県ディンドー社ブッタップ村 (th. Bút Tháp, xã Đình Tổ, Huyện Thuận Thành, tỉnh Bắc Ninh) 大きな地図で見る 紅河(Sông Hồng)の支流、ドゥオン河(Sông Đuống)の南岸に位置しています。 参考資料:ハノイ歴史研究会第26回史跡めぐり資料(大西和彦)2009 |
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