玉山祠

Đn Ngọc Sơn

~ 文・武・医の道教神を祀る ~

 
 「福」と「禄」の文字が大きく書かれた門
撮影:2011年11月30日

<歴史>

ホアンキエム湖の東岸から湖を眺めると、まず玉山島の上に建つ神社「玉山祠」が目に入ります。この島は古くは象耳島と呼ばれていましたが、11世紀はじめに玉象山、13-14世紀には玉山と名前が変わり、その頃には皇帝や貴族が釣を楽しむ魚釣台が設けられていました。

玉山祠には文・武・医の神、文昌帝君、関聖帝君(関羽)、呂祖と、チャン・フン・ダオ(陳興道)が祀られています。

 まずチャン()朝期(1225-1400)に、この島の上に小さな寺が建てられましたが、その後崩壊し、後レー()朝末期(1746)には、中国の三国時代の英雄である関羽を祀る武廟が建立されました。1787年頃には寺として修復されて玉山寺と名づけられました。その後19世紀前半、教育文化活動を行う嚮善(キョウゼン)会がこの寺を譲り受け、文学の神、文昌帝君を祀りました。嚮善会はここで儒教教育を行うとともに、多くの文学作品や経典の翻刻と印刷を行い、玉山祠は、きわめて大規模な出版センターとなりました。

 こうして、ある時は寺として、ある時は英雄を祀る神社として、またある時は文化の発信地として重要な役割を果たしてきた玉山祠は、今はハノイで最も有名な観光地の一つとなっています。

<門・筆塔>

   
  筆の塔
撮影:2011年11月30日
 

最初の門には、「福」と「禄」の大きな赤い字があります。この字をはさむように黒字で縦書きにされているのは、対聯(ツイレン)といい、左右一対となった詩文です。ここには、学問の境地に遊ぶ喜び、人材育成の重要性など、嚮善会の儒教思想が書かれています。この門をくぐると、すぐ左の石積みの丘に塔が立っています。筆塔とよばれ、塔に書かれた「写青天」の文字は、「人が得た知識は世の中に公開しなければならない」ということを表しています。

 次に、右に龍、左に虎の絵を配した門があります。ここでは昔、科挙(官吏登用試験)合格者たちの名を貼り出していました。虎も龍も、長くこもって勉強してきた人たちが、今まさに科挙に合格して世の中に出て活躍するという、儒教の考えを示しています。


   
 龍(向かって右)と虎(左)が描かれた門
撮影:2011年11月30日
 


       
龍と虎の門の裏側に描かれた 鯉と鶴 
 撮影:2012年6月12日


 次に、「硯台」と書かれた門の上には、硯が載せられています。 陰暦55日の朝日が射すと、筆塔の先端の影が硯の上に落ちると言われています。

ここで入場料を払って更に中に進みます。


 
硯台の門
撮影:2011年11月30日
 
 
 硯には、漢字や花が刻まれ、カエルの上に乗せられている。
撮影:2014年3月9日

 

<旭棲橋・鎮波亭>

この先の赤い橋はテーフック(Thê Húc 旭棲)橋、旭の棲む橋と書きます。橋を渡って突き当たりを左へ進んでゆくと、湖に臨んで建てられているあずまやが鎮波亭です。「鎮波」とは、波(外から来る悪い文化・風俗)を鎮める(食い止める)という意味です。その悪い文化とは、1862年にすでに南部三省をフランスに支配されていたベトナムにとっての西洋の文化をさすと考えられます。

この鎮波亭と、先に見た筆塔、硯台、テーフック橋などは、1865年にグエン・ヴァン・シェウ(阮文超)が行った大改修の時に新しく造られた施設です。それまでは、玉山島へは舟で渡っていたのです。


旭棲橋
撮影:2011年11月30日 
「得月楼」と記された門。
四霊の麒麟と亀が描かれている。
撮影:2011年11月30日 

          
 書物と刀を背に乗せた亀
文武両道を尊ぶ儒教の考えを示している。
八卦を乗せた麒麟
八卦:易占いの基本となる図形。
陰陽(長短)の線を組み合わせた八つの形が
描かれ、天地の現象を表す。
撮影:2011年11月30日 


 
 鎮波亭
撮影:2013年11月4日


 <本殿>

   
 本殿
撮影:2011年11月30日
 

前堂には、たくさんの像があります。一番手前に緑の衣を着ているのが関聖帝君(関羽)。その両脇には必ず二つの像があり、向って左側が関羽の養子の関平、右側の黒い顔が周倉(『三国志演義』の登場人物)です。関羽の後ろには呂祖(中国の神仙で、ベトナムでは医学の神とされる)が祀られています。

その奥の仕切りに祀られているのが、文学の神、文昌帝君です。前の、関平と周倉の更に外側にある一対の像は、この文昌帝君に付随する星神です。


     
関羽(手前)と呂祖(奥)   文昌帝君
撮影:2011年11月30日 

右側の通路を通って次の部屋に進むと、すぐ右手の壁に石碑がありますが、左下部に砲弾のあとがあります。ここは、フランスが占領して通信所として使っていたことがあり、周辺で抗仏戦が行われたことを偲ばせます。

このとき進行方向に見える「玉山帝君祠記」と題された石碑は、1843年に刻まれた、ここ玉山祠で最も古い碑文といわれています。下の方に「嚮善会」の文字が見えます。

   
  チャンフンダオ 
撮影:2011年11月30日

この奥が後堂で、中央に祀られているのは、蒙古を撃退した名将でベトナムの軍神であるチャン・フン・ダオです。対聯 は、「チャン・フン・ダオは武略があり、緑水(ホアンキエム湖)で勇敢な兵の訓練をしていたことは、長く(千秋=千年の間)ベトナムの歴史に刻まれている」の意味。「文才謀上相白藤設陣勝軍元」は、「その文才は、宰相の謀(はかりごと)をめぐらせて白藤江(バクダンザン)の戦い(1289)で元軍を打ち破った」の意味です。

 振り返ると、大きな「忠」、「義」の字が見えます。その他の「千古偉人」「春秋大義」などを含め、この後堂には関羽に関して書かれたものが多く残されていますが、これは、以前この部屋には関羽が祀られていたことを示しています。20世紀の半ばにチャン・フン・ダオを後堂に祀り、関羽を前堂に移したのです。ここに、玉山祠がその時代ごとに信仰の場としての様式を変えてきた歴史の一端を見ることができます。


<本殿内のその他の像や彫刻・装飾>


           
一対に置かれたオウム。
女性のそばで女性が
言ったことを繰り返し、
真実を話すことの大切さを教えた
というオウムの伝説がある。
 
精巧な木彫りの装飾
四霊の麒麟と亀、蓮が見える。
 
   蝙蝠と「福」の字がデザインされた
ドア。ベトナムでは、
   蝙蝠は縁起のいいモチーフ。 
撮影:2011年11月30日  



   
 二匹の龍
撮影:2011年11月30日
 


   
 一対に置かれた獅子
撮影:2011年11月30日
 


 

 四霊: 中国の四つの神獣。 龍、鳳凰、麒麟、亀。 それぞれ、皇帝、繁栄、吉兆、長寿の象徴。




 玉山祠には亀の剥製が展示されています。亀の伝説については、ホアンキエム湖をご覧ください。



 

ハノイ歴史研究会トップページへ
 このページのトップへ



Copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All Rights Reserved



inserted by FC2 system