ハンガイ通り
東京義塾(ドンキンギアトゥック)広場からハンボン通りまでの252メートルの通りがハンガイ通りです。旧市街の中でも東西を走る主要な通りで、現在は土産物屋や高級シルク店、刺繍製品の店などが並び、買い物客や観光客で賑わっています。 通りの85番地に、コーヴー亭(Đình Cổ Vũ)と呼ばれる村の集会所があります。2008年に新しく建てかえられ、「ハノイ四鎮」の鎮守であるバックマー(白馬)とリンラン(霊朗・リー朝の皇子)が祀られています。門の右側には、樹齢1000年と言われている立派なガジュマルの木があり、お堂の中には100年前に作られた鐘や線香立ても見られます。 通りの東側の部分の東京義塾広場からトーティック通りまでは、かつては、ハンティエン(Hàng Tiện)通りと呼ばれていました。「ティエン」とは轆轤(ろくろ)のことで、木製のお盆や徳利、香炉などの轆轤製品が売られ、15世紀頃、現在の通りの西側の部分ではGai;苧麻(ちょま)から作られるロープや漁網などの品物が売られていました。しかし19世紀になると、この通りには印刷用の版木屋や本を印刷出版する店が現れ、麻紐屋は他の地区に出て行きました。仏領時代は、ベトナム語をフランス語に訳して「シャブル(麻)通り」と呼ばれていました。またベトナム全土で抗仏戦が始まった頃には、ハンガイ通りはフランス軍とベトナム軍との境界線で、奇数番地(南)側はフランス、偶数番地(北)側はベトナムの支配となっていました。革命後は、フランス風の名前からもとのハンガイ通りに名を代えて現在に至っています。
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