フランス植民地時代の建築(ハノイ)
新古典主義 ~ インドシナ様式

 フランス人は、1874年にハノイを占領すると自国の建築様式の建物を次々と建て始めました。しかしベトナムの気候風土に適さず、その建築様式は徐々に移り変わっていきました。初めは実用的な機能を優先させた軍の建物が、次に1890年頃から植民地政府の権力を誇示する壮大で装飾的な新古典主義(ネオクラシック)様式のオペラハウス迎賓館などが建てられました。新古典主義とは、18世紀後半から19世紀初頭にかけてヨーロッパに広まった、古代ギリシア・ローマ建築の要素を取り入れた様式です。 その後1920年代になると、ベトナム文化を尊重しようという考えが現れ始め、ハノイの気候風土を考慮し、ベトナムの伝統的な様式と西洋の要素を合わせもった「インドシナ様式」が、建築家エブラールによって生み出されました。

建築家エブラール
Ernest Hébrard

18751933 

 フランス人建築家であり都市プランナーでもあったエルネスト・エブラールは、1921年から1927年まで仏領インドシナに滞在しました。インドシナの首都であるハノイを整備するための都市計画を任される一方、ランドマーク的な存在である歴史博物館やインドシナ大学(現国家大学)、インドシナ政庁財務部(現外務省)などを設計しました。しかし大規模な建築、都市開発は植民地政府の財政を圧迫し、また1929年におこった世界恐慌の影響もあり、彼の都市計画は完成されませんでした。
 ハノイの他にもエブラールはダラットの都市計画に従事し、またカンボジアのプノンペンには彼が設計したホテルがあります。





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