白馬祠

Đền Bạch Mã

~ ハノイの東の鎮守 ~

 
撮影:2012年5月12日 

白馬祠は、千年以上前に建てられた、旧ハノイ城の守護神龍肚(ロンドー)と白馬神を祀る神社です。東西南北を守る「ハノイ四鎮」のひとつで、これら守護神には次のような伝説が伝えられています。 


ハノイの守り神 

龍肚(ロンドー)神 と 白馬神

龍は、昔から国と水の守り神でした。ほとんどの人々が農民だったベトナムでは、龍は稲作に必要な水をもたらすと崇められていました。そして昔のハノイにはヌン山と呼ばれる丘があり、その丘の中には気エネルギーの塊があると信じられ、ロンドー龍の臍と呼ばれていました。

現在の北ベトナムが中国の支配下にあった866年、この地を治めていた中国の節度使、高駢カオビエン、大羅城を建設しました。しかし、ある日龍の霊が彼の前に現れ、高駢は霊を追い払おうと銅と鉄で祭壇を作りましたが、雷雨の中、燃えてしまいました。この地に龍神ロンドーの力があることを知り、これを恐れた高駢はロンドーを祀るロンドー祠をここに建立しました。

中国から独立した後の1010年、李朝初代皇帝リー・タイトー李太祖、ホアルーからこの地に都を移し、タンロン昇龍命名しました。ところが、新しい城壁を何度建てても崩れてしまいました。そこでロンドー祠で祈祷を行うと突然白馬が現れ、辺りを一巡り駆けまわった後、祠に戻りました。白馬が通った跡に沿って城壁を建てると、二度と崩れることはありませんでした。これ以後、ロンドー祠は白馬祠と呼ばれるようになったのです。また祠が、こうして造られた城郭の東側に位置していたことから、白馬祠は東の鎮守となりました。そして白馬が休んだところに、北南西の鎮守を造りました。これがハノイ四鎮です。

そして14世紀の神話集『越甸幽霊集』によれば、李の太宗在位10281054)の頃から、神社の周囲には多数の外国商人が住んでいました。その多くは華僑でした。やがて華僑たちは、この神社に中国の武将馬援 マーヴィエンも合祀したようです。馬援は、紀元42年中国の支配に抵抗したハイバーチュンの乱がおこったとき、チュン姉妹を倒した漢の武将です。華僑は、馬援の“馬”と“白馬”を関連付け、ここに祀ったのでした。現在はありませんが、かつて馬援の像が安置されていた場所を図に★で示しました。白馬祠は、火災などに遭った際は華僑の援助により速やかに再建されたようです。また神話集では、龍肚神は「広利大王」と称され、利益を広める神つまり財神に変化していたようです。白馬祠が、早くから華僑にコントロールされていたことをうかがわせる事柄です。20世紀初めには、華僑の献金により大規模な改築が行われました。


<建物>

建物正面には「白馬最霊祠」と記され、屋根の上には魔よけの獅子の顔、太陽または月を表す赤い円、その両側には龍が向かい合っています。

 
 撮影:2012年1月12日


 
 撮影:2012年1月12日


門を入ってすぐ左には、年に2回のお祭りのときに叩かれる太鼓があります。旧暦21213日と815中秋です。右側には1832年鋳造の鐘が吊り下げられています。

 









<前庭>

目の前に、屋根はありますが壁のない「前庭」があります。祭礼を行う広場です。正面の漆の扉には、龍、鳳凰、麒麟、亀が描かれています。これらは四霊といい、それぞれ皇帝、繁栄、吉兆、長寿の象徴です。右側の壁には、修行途上を意味する鯉と成功を象徴する龍の姿が描かれ、困難を乗り越えて成功を収めるという儒教の思想を表しています。壁の前には、ヌン山(Núi Nùng)・龍神大王(Xích Long Thần Đại Vương)と記された岩山があります。 
(以前は、山林を司る上岸聖母と12人の姑(コー・若死にした女性の霊)を祀った山荘(Sơn trang・山の村の意)という岩山の祭壇がありましたが、変わったようです。) 

 
 前庭
撮影:2012年1月12日

 
 大拝の漆の扉
撮影:2005年8月27日



         
 ヌン山・龍神大王と記されている  ヌン山
撮影:2012年1月12日 


左側には社があり、海神、乾海けんかい夫人が祀られています。下にいる虎は社の守り神です。

 
 乾海夫人を祀る社
撮影:2012年1月12日

 

<大拝>

礼拝を行う「大拝」と呼ばれる部屋です。中央に白馬が祀られ、その横には鶴が亀の上に乗っています。鶴亀共に長寿の象徴で、先祖の教えが末長く続くようにとの意味も込められています。両側には8本の武器があります。武器は、無知に対する知恵、災いの打破を象徴しています。この部屋の一番奥にある祭壇には白馬神を象徴する椅子があり、上には東の鎮守であることを示す「東鎮正祠」の扁額がかけられています。右側は聖母道の祭壇です。天を司る上天聖母赤い衣、水を司る水宮聖母白い衣、山林を司る上岸聖母緑の衣が上段に、下段には聖母に仕える眷属が祀られています。左側は三世仏、釈迦誕生仏などの仏像を祀る祭壇です。

       
 大拝 白馬(大拝) 
撮影:2012年1月12日 

 

 
 ”東鎮正祠”の扁額
撮影:2012年1月12日


       
 三世仏と誕生仏の祭壇 聖母道の祭壇 
 撮影:2012年1月12日



<後宮>

「後宮」は最も神聖な部屋です。祭壇手前には祠を守る一対のチャンパ像が置かれ、囚われたチャンパ人を表しています。チャンパは、ベトナム中部に17世紀まで存在し、ベトナムによって滅ぼされた国です。祭壇には神霊を象徴する椅子が二つあります。更にこの奥の部屋に、龍肚神が祀られていますが、通常は中に入ることは出来ません。

        
 チャンパ像(後宮) 後宮
暗い赤色のカーテンの向こうに、龍肚神が祀られている。 
撮影:2012年1月12日 

祭壇に向かって右側に置かれているのは、祭りの際に神霊(龍肚神)が乗るとされる神輿で、龍や獅子で豪華に装飾されています。その両脇の傘は、もともと位の高い人々が使ったものでしたが、神社などでは悪霊から神霊を守るために置かれています。

       
 神輿と傘  獅子の装飾(神輿の椅子部分)
撮影:2012年1月12日 

 

 
 
白馬祠 見取り図 (2006年2月現在)

ベトナムの神社ではこのように神像と仏像を一緒に祀ることが多く、
大拝に仏像、後宮に神像を祀る配置の様式を「前仏後聖」といいます。







     
 


     

旧暦2月12、13日の祭の様子
黄色い衣の背中には、龍が躍る。
撮影:2006年3月12日
 
   




<住所> 76 Hàng Buồm, Hà Nội




ハノイ四鎮

東:白馬祠 Đền Bạch Mã (ハンブオム Hàng Buồm通り)

西:象伏祠 又は 霊郎祠 Đền Voi Phục (トゥーレ公園 Công Viên Thủ Lệ)

南:高山祠 Đền Cao Sơn又は金蓮祠Đền Kim Liên (キムホア Kim Hoa通り)

北:鎮武観 Đền Quán Thánh (タインニエンThanh Niên通り)



   
 霊朗祠
撮影:2012年1月18日
金蓮祠
撮影:2012年5月25日 



参考: 『歩こうハノイ⑤ 白馬祠周辺を歩こう』 ハノイ歴史研究会 2006

 


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