白馬祠 Đền
Bạch Mã ~ ハノイの東の鎮守 ~
白馬祠は、千年以上前に建てられた、旧ハノイ城の守護神龍肚(ロンドー)と白馬神を祀る神社です。東西南北を守る「ハノイ四鎮」のひとつで、これら守護神には次のような伝説が伝えられています。
ハノイの守り神 龍肚(ロンドー)神 と 白馬神
龍は、昔から国と水の守り神でした。ほとんどの人々が農民だったベトナムでは、龍は稲作に必要な水をもたらすと崇められていました。そして昔のハノイにはヌン(濃)山と呼ばれる丘があり、その丘の中には気(エネルギー)の塊があると信じられ、ロンドー(龍の臍)と呼ばれていました。
現在の北ベトナムが中国の支配下にあった866年、この地を治めていた中国の節度使、高駢(カオビエン)は、大羅城を建設しました。しかし、ある日龍の霊が彼の前に現れ、高駢は霊を追い払おうと銅と鉄で祭壇を作りましたが、雷雨の中、燃えてしまいました。この地に龍神ロンドーの力があることを知り、これを恐れた高駢はロンドーを祀るロンドー祠をここに建立しました。
中国から独立した後の1010年、李朝初代皇帝リー・タイトー(李太祖)は、ホアルーからこの地に都を移し、タンロン(昇龍)と命名しました。ところが、新しい城壁を何度建てても崩れてしまいました。そこでロンドー祠で祈祷を行うと突然白馬が現れ、辺りを一巡り駆けまわった後、祠に戻りました。白馬が通った跡に沿って城壁を建てると、二度と崩れることはありませんでした。これ以後、ロンドー祠は白馬祠と呼ばれるようになったのです。また祠が、こうして造られた城郭の東側に位置していたことから、白馬祠は東の鎮守となりました。そして白馬が休んだところに、北南西の鎮守を造りました。これがハノイ四鎮です。
そして14世紀の神話集『越甸幽霊集』によれば、李の太宗(在位1028~1054)の頃から、神社の周囲には多数の外国商人が住んでいました。その多くは華僑でした。やがて華僑たちは、この神社に中国の武将馬援 (マーヴィエン) も合祀したようです。馬援は、紀元42年中国の支配に抵抗したハイバーチュンの乱がおこったとき、チュン(徴)姉妹を倒した漢の武将です。華僑は、馬援の“馬”と“白馬”を関連付け、ここに祀ったのでした。(現在はありませんが、かつて馬援の像が安置されていた場所を図に★で示しました。) 白馬祠は、火災などに遭った際は華僑の援助により速やかに再建されたようです。また神話集では、龍肚神は「広利大王」と称され、利益を広める神つまり財神に変化していたようです。白馬祠が、早くから華僑にコントロールされていたことをうかがわせる事柄です。20世紀初めには、華僑の献金により大規模な改築が行われました。
<建物> 建物正面には「白馬最霊祠」と記され、屋根の上には魔よけの獅子の顔、太陽または月を表す赤い円、その両側には龍が向かい合っています。
<前庭> 目の前に、屋根はありますが壁のない「前庭」があります。祭礼を行う広場です。正面の漆の扉には、龍、鳳凰、麒麟、亀が描かれています。これらは四霊といい、それぞれ皇帝、繁栄、吉兆、長寿の象徴です。右側の壁には、修行途上を意味する鯉と成功を象徴する龍の姿が描かれ、困難を乗り越えて成功を収めるという儒教の思想を表しています。壁の前には、ヌン山(Núi Nùng)・龍神大王(Xích Long Thần Đại Vương)と記された岩山があります。
左側には社があり、海神、乾海(けんかい)夫人が祀られています。下にいる虎は社の守り神です。
<大拝> 礼拝を行う「大拝」と呼ばれる部屋です。中央に白馬が祀られ、その横には鶴が亀の上に乗っています。鶴亀共に長寿の象徴で、先祖の教えが末長く続くようにとの意味も込められています。両側には8本の武器があります。武器は、無知に対する知恵、災いの打破を象徴しています。この部屋の一番奥にある祭壇には白馬神を象徴する椅子があり、上には東の鎮守であることを示す「東鎮正祠」の扁額がかけられています。右側は聖母道の祭壇です。天を司る上天聖母(赤い衣)、水を司る水宮聖母(白い衣)、山林を司る上岸聖母(緑の衣)が上段に、下段には聖母に仕える眷属が祀られています。左側は三世仏、釈迦誕生仏などの仏像を祀る祭壇です。
<後宮> 「後宮」は最も神聖な部屋です。祭壇手前には祠を守る一対のチャンパ像が置かれ、囚われたチャンパ人を表しています。チャンパは、ベトナム中部に17世紀まで存在し、ベトナムによって滅ぼされた国です。祭壇には神霊を象徴する椅子が二つあります。更にこの奥の部屋に、龍肚神が祀られていますが、通常は中に入ることは出来ません。
祭壇に向かって右側に置かれているのは、祭りの際に神霊(龍肚神)が乗るとされる神輿で、龍や獅子で豪華に装飾されています。その両脇の傘は、もともと位の高い人々が使ったものでしたが、神社などでは悪霊から神霊を守るために置かれています。
<住所> 76 Hàng Buồm, Hà Nội 東:白馬祠 Đền
Bạch Mã (ハンブオム Hàng Buồm通り) 西:象伏祠 又は 霊郎祠 Đền
Voi Phục (トゥーレ公園 Công Viên Thủ Lệ) 南:高山祠 Đền
Cao Sơn又は金蓮祠Đền Kim Liên (キムホア Kim Hoa通り) 北:鎮武観 Đền
Quán Thánh (タインニエンThanh Niên通り)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハノイ歴史研究会トップページへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このページのトップへ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2011 Hanoi Rekishi Kenkyukai All Rights Reserved |